苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法は国産品 その1

 日本国憲法はGHQからの押し付け憲法であると主張し、自主憲法制定をすべきであるという勢力がある。いったい真相はどうなのか。数年前「日本の青空」という映画を見てから、少し調べて見たことをここにさらりとレポートしておく。この映画をまだ見たことのない読者がいらしたら、ぜひご覧になるとよい。http://www.cinema-indies.co.jp/aozora/index.php

1.日本国憲法制定の経緯概略

 1945年10月4日、マッカーサーは、近衛文麿元首相と会談し、憲法の改正について示唆を与えた。そこで、近衛は佐々木惣一元京大教授とともに憲法改正の調査に乗り出す。さらにマッカーサーは、10月11日、幣原首相との会談において、「憲法自由主義化」に触れたので、幣原内閣は、憲法改正に対応することになった。かくて松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)が10月25日に設置された。だが、翌年2月4日松本委員会が提出した憲法改正要綱は、帝国憲法と本質的に変わるところがなかったので、マッカーサーに拒否される。この拒否された松本委員会「憲法改正要綱」は
右のものである→http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/074shoshi.html
 他方、民間ではさまざまな団体・新聞が憲法改正案を発表していた。http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/revision.html#s3 そのなかで、格別に日本国憲法に直接的影響を及ぼしたのが憲法研究会による「憲法草案要綱」である。憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。
 鈴木安蔵が研究会の討議を経て、第一案から第三案(最終案)を起草して、12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。鈴木安蔵はかつて京都帝大生の時代、1925年マルクス主義に傾倒して、京都学連事件治安維持法逮捕第一号となって投獄された人物である。彼は、その後、極貧の中で明治の自由民権運動における憲法史の研究にいそしんできていた。鈴木は、起草の際の参考資料として、明治15年に起草された植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』、土佐立志社の『日本憲法見込案』など、日本最初の民主主義的結社自由党の母体たる人々の書いたものを初めとして、私擬憲法時代といわれる明治初期、弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた二十余の草案、また外国資料としては1791年のフランス憲法アメリカ合衆国憲法ソ連憲法、ワイマール憲法プロイセン憲法を用いたとしている。
 同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権生存権が規定されている。このように憲法研究会の憲法草案要綱の基本構造は、日本国憲法の構造となっている。下記の国会図書館のサイトを見れば、憲法草案要綱原文を写真版でも読むことができる。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.html
 この要綱には、GHQが強い関心を示し、これを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた報告書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。憲法研究会案はGHQの英文日本国憲法作成に強い影響を与えたのである。次のサイトを見れば、その証拠文書が読める。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/060shoshi.html
 鈴木安蔵の手になる「憲法草案要綱」の内容は、たしかに現行憲法つまりGHQが政府に押し付けたものに非常によく似ている。ここに、鈴木案のうち、根本原則として述べられる、国民主権天皇の位置づけ、基本的人権が述べられているところを引用しておこう。
「根本原則
 1 日本国の統治権は日本国民より発す
 1 天皇は国政を親らせず国政の一切の最高責任者は内閣とす
 1 天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼を司る
  中略
 1 国民は法律の前に平等にして出生または身分に基づく一切の差別は之を廃止す
  中略
 1国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げるいかなる法令をも発布するをえず
  中略
 1国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
  中略
 1男女は公的並びに私的に完全に平等の権利を享有す
 1 民族人種による差別を禁ず
 (以下、議会、内閣、司法、会計および財政、経済、補足は省略)

 GHQは1946年2月13日、英文の日本国憲法草案を日本側に渡した。政府は知らなかったのだが、この英文新憲法の骨子は、民間の憲法史研究者、鈴木安蔵が起草したものだったのである。GHQ草案→http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html
 そして鈴木のおもな思想的源泉は、植木枝盛憲法草案をはじめ、明治時代、弾圧下に自由民権運動のなかで起草された数々の民間憲法草案であった。明治時代に国権主義と民権主義のたたかいがあって、国権主義が勝利を収めて、外見立憲君主制の帝国憲法ができたのだが、敗戦後、ひとたび葬られていた民権主義が民主立憲君主制日本国憲法というかたちで復活してきたというわけである。
 植木枝盛憲法草案は右参照。http://homepage2.nifty.com/kumando/si/si010515.html
これも・・→http://www.ndl.go.jp/modern/cha1/description14.html
もういっちょ・・http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091231/p1


*しかし、「憲法草案要綱」には軍隊に関する定めがなかった。では、憲法9条はどこから来たのだろうか?