苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

森島豊「国体に基礎づけられた人権―生成過程とテロリズム化する危険性ー」

 森島豊氏の書かれた「国体に基礎づけられた人権ー生成過程とテロリズム化する危険性ー」という論文を読んだ。『近代君主制の思想史ー共和・国体・天皇ー』という新刊本に第三章として収められている。
 人権は欧米において生成された普遍的価値として扱われ、近代国家としての成熟度を測るバロメーターとされている。だが、日本では明治維新以降、国家体制を維持する上で人権思想は危険なものと見られて来た。日本における人権は、国体に基礎づけられた独特のものであると著者は述べる。

 国体とは天皇を中心とする国家統一の理念を意味する。それは幕末の水戸藩の相澤正志齋が最初に用いたものである。彼は欧米列強に対して、記紀神話の神々が忠孝をもって国を建てたことを土台に、「国体」を主張した。天皇が天祖を祀り、国民が臣民として天皇に忠誠をつくし、子が親を敬うことが、忠孝を根幹とする国体の精神構造である。

 こうした体制にあっては、人権よりも国権が優先されることになる。欧米の人権はキリスト教的背景があって創造主が人間に与えた自然権がもとであるが、日本においては天皇が国民に与えた権利ということになる。天賦人権論に対して国賦人権論(天皇賦人権論)である。この考えは、現在の自民党にも根強い。

 明治の天皇制下で、自由民権運動を進めた板垣退助は「一君万民」ということばを用いた。天皇の前ではすべて国民は平等であるという思想である。特に、天皇は統帥権を持ち、軍隊は天皇の軍隊、皇軍であるとされたので、皇軍の将校・兵士たちは天皇と一体感を抱いていた。ところが華族という特権階級が政治を担当し、天皇と国民の間を隔てる存在となっていた。特に現役軍人たちは選挙権、被選挙権がなく、言論を含めて政治参加の機会がなかったから、軍隊の中に政府に対する不満が鬱積した。

 兵士たちの多くは貧農出身で家計を助けるために、軍に入った者が多かった。世界恐慌の中で農村は疲弊し、彼らの妹は女中奉公や女郎に売られるという事態となって、将校と兵士たちは無為無策で私腹を肥やす政治家たちに憤った。その憤りが5.15事件、2.26事件を生み出すことになる。こうした動きの背景には、北一輝の思想がある。だが、周知のごとく、皇軍の将校たちが兵士たちとともに蜂起したとき、天皇は激怒して彼らを反乱軍として扱った。

 森島氏の論文は、「一君万民」という国体にはめ込まれた疑似人権思想が、テロリズムの温床となっていったことを歴史的に丁寧に跡付けている点、目が開かれる思いがした。

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その他の感想

①「君側の奸」ということばがある。生活に困窮する庶民はえてして「君主さまはすばらしく清く正しく優しいお方なのだが、取り巻きの連中が悪いのだ。」という考えを持ちがちなのである。北朝鮮から脱出した人々も、「将軍様はすばらしいお方だと信じていた」と語る。皇軍の将校・兵士たちも、「君側の奸」を撃てば、天皇親政となり庶民も幸福になると幻想を抱いたのだった。
②ジョン・ロックの『市民政府論』を読めばわかるように、創造主がすべての人に与えた自然権が、本来の人権である。その場合、君主もまた創造主の下にある。17,18世紀のヨーロッパの君主たちは「王権神授説」によって、自分を絶対化した。だが啓蒙思想家たちは王の上にある創造主が人民に与えた自然権に訴えて市民革命を起こすことができた。他方、「一君万民」思想の場合、創造主の位置に現人神としての天皇を据える。そうすると、天皇を抑えるものは何なのだろう。