苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

無機的な学校風景

 今朝も苫小牧の東の方を歩いていると、広々とした校庭のある小学校がありました。北海道だから十分な面積がとれていることはいいことですが、校庭には木が一本も生えておらず、かつ塀というものが存在しません。だだっ広い校庭の周囲を等間隔にコンクリートの柱が囲んで立っていて、その間をフェンスというかネットが張られているのです。

 その意図していることは、人が隠れることができる物陰を作らないということでしょう。他府県で不審者が学校に入り込んで事件を起こすということが何度かあり、それが大々的に報道されたことを受けて、学校を改修する機会に、校舎と地面以外なにもないという無機的な学校風景にしてしまったのです。高い塀がない点を除いて、まるで刑務所のような風景です。

 我が家の子どもたちが小学生だったころ時代、つまり二十年ほど前には、学校ではニワトリとウサギを飼っていて、校庭の周りを木々が囲んでいたものです。子どもたちは餌やり当番や水やり当番などをしていました。そういうことが子どもたちの情操を養う上で大事なことだという認識があるからでしょう。しかし、鳥インフルエンザが流行したために、学校から動物も排除されました。木も生えていない、花壇もない、鳥もウサギもいない校庭、そしてコンクリートで出来た建物の中で、子どもたちは健やかに育っていけるのだろうか、といささか心配になります。

 事件が起きたら責任を問われる。だから事件を未然に防ぐために取った対策なのだろうとは思うものの、なんというか、大事なものを置き去りにしてしまっているのじゃないかなあと感じます。