苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ハロウィンの正体


 近年十月末日はハロウィン祭だと宣伝されるようになった。オレンジ色のカボチャをくりぬいて作ったお化けの顔のランプ飾りやお化けの仮装パーティ用品なども、デパートでは楽しげに演出して売り出されている。また、他方おどろおどろしい呪術や恐怖体験を集めた『ハロウィン』という雑誌もある。学校でまで子どもにハロウィンの化け物の仮面をつくったりさせている。ハロウィンとはなにか?
 米国ではこの日になると幽霊やお化けに変装した子どもたちが「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」と言って家々を回る風習がある。ところが30年ほど前から、遊びがエスカレートして少年たちが家々のガラスを割ったり放火したりする事件が頻発し、それに対抗しておとなたちが、ガラスを入れたケーキを子どもに与えて大怪我をさせることまで起こっている。十数年前、日本人留学生H君がハロウィンで仮装して民家を訪ねたところ、おびえた家主に「フリーズ(止まれ)!」と言われたのに理解できずに進んでいったところ、射殺されてしまうという痛ましい事件があったのにはこういう背景がある。その後も日本人留学生がハロウィンで大怪我をしたというニュースを聞いた。ハロウィンにはこの種の暴力・傷害事件がつき物なのである。
 ハロウィンをキリスト教の祭りであると誤解している人がいるが、本来は古代ヨーロッパのケルト人のドルイド教の祭りだったという。ハロウィンは、収穫がおわり木々が枯れる冬にふさわしく、死神と邪悪な霊とかかわる「死霊・悪霊の祭り」「収穫を感謝し、死霊を迎え、もろもろの悪霊を追い出す」とされる祭りだったそうだ。二世紀頃にキリスト教にハロウィンの習慣が混入したと言われるが、聖書に忠実な教会ではハロウィンを祝わない。だがそうでもない教会や、格別、悪魔教会(マンガみたいですがそんなものが実在するそうです)では、ハロウィンが盛大に祝われている。
 国際化の時代にあって、自国の文化のみに凝り固まらないで世界中のいろんな文化を理解する広い心を子どもたちのうちに育てることは大切なことである。おそらくそういう認識で日本の学校でもハロウィンごっこをしているのであろう。しかし、何事であれ教育に取り入れるときには、それが有益か有害かをよく吟味する必要がある。傷害事件まで誘発しているハロウィンを日本の子どもたちにわざわざ体験させなければならない教育的理由を筆者は見出すことができない。留学生たちの痛ましい事件を思えば、小学生にはハロウィンを楽しませるよりも、むしろ、その危険性を知らしめることのほうに意味があるようにさえ思えてくるのである。
(通信小海2003年11月121号に加筆)

追記2013年11月>
  筆者がハロウィンについて得た知識は、もう25年も前にカナダと米国からこられた宣教師夫妻から得たことと、平凡社の古い百科事典から得たことです。今ではネット上でいとも簡単にある程度は知識を得られます。子どもがガラスを割ったり、大人がお菓子の中にガラスを混入させたりということは、25年前に一緒に働いていた宣教師が故国で頻々と起こっていることに心痛めて話していたことです。現状はもっとひどいとか。
 それでやはり私はハロウィンについて、警告しておきたいと思います。それは、C.S.ルイスが『悪魔の手紙』で指摘するように、悪魔とその手下である悪霊たちは、そんなものは実在しないという合理主義者をも、悪魔・悪霊に不健全な関心をもつ魔法使いをも大歓迎するものであるからです。ハロウィンには、後者の危険があります。
 また、「祖霊を迎える」ということは聖書的な観点からいうと、実際にはありえないことですから(ルカ16章19−31節)、もしなんらかの霊的現象があるとすれば、そこに起こっていることは、祖霊に扮した悪霊を迎え、たぶらかされるということであろうと解するほかあるまいと思います。また、悪魔・悪霊どもというのは自ら神として恐れられたいという願望をもつものであり(ユダ書6節)、かつ、その追放はただ主イエス・キリストの名の権威によって可能なことなので(マタイ福音書10章1節)、仮装などして騒ぐことは、悪霊追放にはならず、かえって悪霊の自己顕示欲を満足させ喜ばせる行為なのです。そういう意味では、ハロウィンが邪悪な霊をほめたたえる祭りだというのは、当たらずといえども遠からずです。

 なお、上に何度か「聖書的観点から」という表現を用いました。おそらく宗教学者や評論家における「公平」とは価値中立的な立場に身を置くことなのでしょう。しかし、牧師は宗教学者でも評論家でもありません。牧師の務めは神のことばをもって人々をいのちに導くことですから、「聖書的観点から」ものを言うことです。その点、コメントをくださった悟澄様にはご不満ではありましょうけれども、あしからず。
 
追記2014年11月>
下のリンク先に、「恐ろしいハロウィンの由来」というまとめがあります。これによると、「ハロウィンは、本来約2500年前にアイルランドケルト( Celt )族がサムハイン( Samhain )と呼ばれる死の神に仕えて死んだ後、人間の魂は、サムハインで救われるという宗教から始まった。ケルト人は、一年に一度、サムハインの神をなだめるために犠牲をささげ、その日が一年の終わりの日である10月31日に行われた」そうです。
 ・・・こうした民俗的なことの由来というのは、えてして諸説ありがちなものです。
http://matome.naver.jp/odai/2138286294833495401