苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

信仰、愛、希望

 四十年ほど前の夏、最初に友人からもらって読んだ信仰書の扉に、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中でもっともすぐれているのは愛です。」(1コリント13:13)と書かれていました。そのせいか、ずっと意識にある三つ一組みです。使徒パウロは、信仰、愛、希望の三つを手紙のあちこちで書いていますので、列挙してみます。

1テサロニケ1:3
私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

1テサロニケ5:8

しかし、私たちは昼の者なので、信仰の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。

1コリント13:13

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰希望、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

エペソ1:15-18

こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対するを聞いているので、祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか・・・

コロサイ1:4,5
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いているについて聞いたからです。それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。

 

  ローマ5:1-11は、キリスト者はキリストを信仰によって義と認められて神との平和を得ていること、現在は、試練の中で神のを知り聖化されつつあること、そして、さばきの日には神の怒りを免れて栄光化されるという希望が教えられています。要するにパウロがいうのは、私たちはキリストを信じて義と認められた者として、主の再び来られたときの栄化の望みに支えられて、今日を、愛に生きるのだということです。キリスト者は、この世にあってはキリストに似た者とされていく聖化の途上にあるが、それを後ろから支えるのは信仰義認の事実であり、前から励ますのはキリスト再臨と栄光化の希望です。時間的順序は、信仰・愛・希望であり、それは義認・聖化・栄化の順序を意味します。

 ただ、1コリント13章13節だけは「信仰と希望と愛」という順序です。1コリント13章は、コリント教会が異言をはじめとする御霊の賜物問題で揺れていたので、12章と14章の間に13章をはさんで、愛を欠いて賜物を誇るのは無益であると言いたいので、愛の重要性を強調するために、「信仰と希望と愛」の順序で語るのでしょう。そして「愛を追い求めなさい」と奨めます。