苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

御霊と御力の現れ

 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。(1コリント2:1-4)

 

 パウロアテネのアレオパゴスでは哲学議論をしている人々を相手に、少々教養の片鱗をちらつかせるような伝道メッセージをしたが、次にコリントに出かけたときには、ああいう話はしないと心に固く決めていたという。

 振り返ってみれば、自分自身、ある日を境としてキリストを信じるようになったのであるが、誰かに説得されたわけではなかった。なぜか信じられるようになったのである。それなのに、人のことは説得力あることばをもって伝道しようとしてしまう愚かさ・・・。御霊と御力の現れることを期待して十字架のことばを宣べ伝えて行こう。