苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

骨惜しみしない娘、良い実

本日の通読箇所 マタイ7:13−29、創世記24章

彼に水を飲ませ終わると、彼女は「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」と言った。(創世記24:19)

 イサクのために嫁をさがしに出かけたアブラハムのしもべは、井戸のかたわらで美しい娘リベカに出会った。リベカは彼に水をやると、プラスアルファ、「らくだたちにも水をあげましょう」と言った。小さな親切である。いや、実はこれは小さな親切どころではない。アルファのほうが本体よりもはるかに大きい。
 なぜなら、Wikipediaによれば、駱駝は、一度に80リットル、最高で136リットルもの水を飲むからである。長旅の後である。ラクダたちはそれぞれ136リットル飲んだのではないか。しかも、このラクダは複数で書かれている。リベカは底抜けに親切な、そして元気でしっかりとした体躯をもつ娘だったことがうかがい知られる。こうした親切は彼女にとって、日常的なことだったのだろう。彼女のその親切が、彼女が神の民の歴史のなかに名を刻むきっかけとなった。


 他方、マタイ伝7章

7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』 

 山上の垂訓の末尾。主の御名によってする預言、悪霊追放、奇跡。耳目を驚かすこれらのわざは、まことの主のしもべのしるしではない。羊のなりをした狼であっても、これら主の御名による奇跡を行うことができる。まことの神のしもべのしるしとは、良い実である。良い実とは、隣人愛の実践である。