「一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。」
これは若い日に、宮村武夫先生に勧められて読んだ、森有正『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭のことばである。彼は、個人の生涯だけでなく、文明、特にヨーロッパの精神においても、同様のことが言えるのだと述べている。私は全集を手に入れて彼の文章のほとんどを読んだが、彼がその生涯をかけて語っているのは、この一文だった。彼は、その生涯をかけて、上の命題の正しさを証明したということもできよう。
実は、『失われた歴史からー創造からバベルまで』における創世記の章句の解釈の背景には、この森有正のことばがある。創世記の1章から11章、アブラハム以前の部分の歴史には、その後展開される人類の歴史が、その稚い日に、すでにその本質において、残りなく露われているのではないか。そういう確信に近い思いである。