苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神の測り知れぬ広さ深さ優しさ厳しさ

通読箇所  マタイ15:1−28、 創世記48−50章

創世記48:2−4
48:2 ある人がヤコブに告げて、「あなたの子ヨセフがあなたのもとにおいでです」と言ったので、イスラエルは力をふりしぼって床にすわった。 48:3 ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、 48:4 私に仰せられた。『わたしはあなたに多くの子を与えよう。あなたをふやし、あなたを多くの民のつどいとし、またこの地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう。』

 苦難に満ちたヤコブの生涯の最期は、イスラエルの族長として実に尊厳あるものだった。彼が母リベカの胎に宿ったときから、この子々孫々のための祝福と預言による訣別にいたるまで、聖書は実に多くのページを割いている。彼は有能な人であり自力の人であり押しのける人、騙し取る人だった。彼の友だちにはあまりなりたくないと思わされる、そういう人だった。だが、ヤコブが欲したものはこの世のものでなく神の祝福であった点に、彼の面目がある。
 神はそういうヤコブを愛された。愛されたから、彼を厳しく懲らしめた。食えない伯父ラバンのもとで彼に騙されるという苦しみを味わわせ、ヤボクの渡しでは自ら相撲をとってそのもものつがいを打ち、最愛の妻ラケルを奪い取り、お気に入りの息子ヨセフを奪い去って晩年に失意落胆の日々を送らせた。
 虚勢を張ることなく、自分の人生は先祖に比べれば不幸せなものであったと率直に認めつつ、しかし、ファラオに祭司として神の祝福を与え、子々孫々の祝福と預言をしたヤコブ。彼の生涯を見ると、神というお方の計り知れぬ広さ深さ優しさ厳しさを感じる。