苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「神のかたち」の観点から創造から終末まで見通す

 今、四半世紀前に書いた『神を愛するための神学講座』にペンを入れて、少しだけ書き直しつつあります。そこにどうしても入れたい視点は、この件なのです。


 人間はもともと三位一体の第二位格「神のかたち」である御子にあって造られ(コロサイ1:15)、被造物世界の統治を委ねられました(創世記1:26,27)。堕落したことからわかるように、完全な者として造られたわけではなく、試練を経て完全を目指して成長すべき者として造られました。
しかし、人間が堕落して神と断絶状態に陥ってしまい、被造物もその呪いの下に置かれました。そのとき、御子はご自分を目指して造られた人間と被造物世界を救い再創造するために人性を帯び、キリストとしてこの世に来てくださいました(ヨハネ1:14)。キリストは、真の知識をもつ預言者として神を説き明かし(ヨハネ1:18)、義なる王として敵であるサタンと戦い(マタイ27:28−31)、聖なる祭司としてご自身を完全ないけにえとしてささげて(ヘブル7:27)、罪の贖いを成し遂げてくださいました。
 神は、悔い改めてキリストを信じて義とされ、神との交わりに回復した人間に(ローマ5:1)、聖霊を満たして、真の知識と義と聖において新しく創造し続けてくださいます(エペソ4:24)。これが聖化です。教会は、キリストのからだとして、預言者として神にかんする真の知識を宣べ伝え、王として義しい教会統治をなし、聖なる祭司としてとりなし祈る務めを果たしつつ(1ペテロ2:9)、再臨のキリストを待ち望みます。
 やがて、キリストが再び来られるならば、復活した神の民は、「神のかたち」である御子に似た者として完成され(1ヨハネ3:2,3)、新しい天と新しい地を相続してこれを治め(黙示22:5)、永遠に聖三位一体とのいのちの交わりに生きることになるのです。