苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

復活

マタイ27:62-28:15
 

  この写真を見ると、いかにもゴルゴタ(ドクロ)の丘(「ふくちゃんのホームページ」より)


1.厳重な警備

 アリマタヤのヨセフは、思い切ってイエス様の亡骸を引き取り、自分の家の墓に丁重に収めました。すると、ユダヤ当局は、ローマ総督ピラトに次のように申し出て、ローマ兵士を出してもらって、主イエスが葬られた墓を厳重に番をさせました。

  27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、 27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

 ユダヤ当局は、イエスが復活するという予告をしていたことをキャッチしていましたが、イエスが文字通り復活するなどという馬鹿なことはありえないと考えていました。それにもかかわらず、彼らは非常に警戒しています。弟子たちがイエスの亡骸を盗み出して、イエスが復活したというデマによって民衆が騒ぎ出したら困ると思っていたからです。ですから、弟子たちがイエスの亡骸を盗み出さないために、総督ピラトに願い出て手を打って、ローマ兵たちに墓前の番をさせたのでした。
 墓は、大きな円盤状の岩を転がして閉じられました。現在、エルサレムにはイエスの墓だと言われるものが二つあります。いや、青森県にも「キリストの墓」がありますが(笑)。1つは、3世紀にコンスタンティヌス大帝の母ヘレナが「ここだ」と定めたもので、現在、聖墳墓教会のある場所です。しかし、聖墳墓教会は旧市街の城壁の内側に位置しているので、長年、聖書の記述と矛盾すると疑われてきました(ヘブル13:12)。もう一つ主の墓と言われるものは19世紀になってプロテスタントの人々とくにチャールズ・ゴードン将軍が指摘した墓で、これは「園の墓」と呼ばれています。これは、ヨハネ福音書の記述と一致している点があって、ゴルゴタの丘のそばの園にあります。

19:41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。 19:42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。


(写真は「天下泰平」さまより)
 この点からいえば、聖墳墓教会よりも園の墓がイエス様が葬られた墓である可能性が高いと思われます。墓穴は岩壁に横穴が空けられたもので、墓穴の前には幅60センチのU字溝みたいな溝があります。この溝に入り口をふさぐ円盤型の封印石が立てられていたわけです。ある本によると、封印石があったと思われる箇所の両側に打ち込まれたて鉄のくさびが残っていて、封印石を固定していたとあったので、本当かどうか昨年3月聖書考古学者であるK先生に見てきていただきましたら、本当にあったそうです。二本の鉄の楔と楔の距離は4メートルだといいます。ということは封印石の直径は恐らく3メートルないし4メートルほどあったことを意味しています。この大きさは今日残されている古代の墓の石としては異例の巨大さです。この封印石を動かすことは実に容易なことではありませんでした。また、この封印の岩の巨大さを見ると、アリマタヤのヨセフはほんとうにお金持ちだったのだとわかります。
 その上、ローマ兵たちは念入りに墓の入り口には石をおいて封印をしました。ローマの双頭の鷲の封印であったろうと思われます。それを破ることは、ローマ帝国に敵対すること反逆することを意味しました。この状況を見れば、弟子たちが、「眠っている」番兵に知られずこっそり石を動かして亡骸を盗み出すというのは不可能でした。


2.主イエスの復活

(1)女たち
 さて、週の七日目の日が落ちて、安息日が終わりました。4月初旬のことですから、日没午後6時半頃でしょうか。マルコ伝の並行記事によると、イエス様についてきた女性たちは、その亡骸を飾るための香料などを用意しに日没後に市場に行き、翌朝、墓に行こうと考えていました。彼女たちはイエス様が現実によみがえるとは想像もしませんから、日が暮れて安息日が明けたからといって急いで墓に出かけようとは考えていませんでした。そういうわけで、その夜は床に着いて、翌日つまり週の初めの日を待ったわけです。
 四つの福音書をつき合わせると、その女性たちはマグダラのマリヤ、ヨセフの母マリヤ、それからサロメという名の女性もいたようです。ヨハネによれば、マグダラのマリヤだけは暗いうち先に墓に出かけたようです。

  28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。

 この一節は以下の出来事の表題のような役割を果たしています。


(2)封印の石


 次いで新改訳聖書では「すると、大きな地震が」と翻訳されていますが、「すると」ということばは、マリヤたちが来たときに地震が起きたように誤解されそうですから余計です。墓の周辺の地震は未明、女性たちが来る前にすでに起きていたことです。その地が揺れたとき、墓の前にいたのは番兵だけでした。そして、あの墓の石をわきにころがしたのは御使いでした。

28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。

 園の墓を観察した人のレポートによれば、墓の入り口の左側に突き刺さったままの直径三センチほどの太い鉄の杭は左に曲がってボキリと折り取られています。封印石が左に動かされたからでしょう。そのためには杭にかかった過重は実に60トン~80トンと計算されるそうです。ユダヤ当局はイエスの亡骸が盗まれることを警戒していたことがよくわかります。これでは女性たちでなく11人の弟子たちでも決してこっそり盗み出すことなどできません。では、誰が、あの封印石を押して鉄の杭を折り、石を動かしたのでしょうか。聖書は言います。「大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。」

(3)「恐れてはいけません。あなたがたは。」
 マタイ伝の特徴は、主の使いが現れたときの、キリストに敵対するローマ兵に対する扱いと、キリストを信じる女性たちの扱いが対照的に描かれていることです。ローマの番兵たちは御使いを見て恐れおののき、気絶してしまいます。

28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

 今、キリストの十字架における贖いを拒絶し、復活を否定する者は、世の終わりにキリストが再臨なさるときには恐怖におののいて永遠の滅びに死に定められます。その最後の審判を象徴するような出来事でした。
 他方、イエスの弟子である女性たちに向かって御使いは言います。

28:5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

 新改訳聖書では省略されているのですが、ギリシャ語本文では「恐れてはいけません、あなたがたは。me fobeite humeis」となっていて、「あなたがたは」が強調されています。「キリストを否定し、敵対し、殺した者たちは、恐れて倒れて、気絶もするだろう。しかし、キリストを信じて生きてきたあなたたがたは、恐れなくてよいのだ。」と言っているのです。
 今日でも、キリストを無視し、その十字架の贖いも、復活の出来事も必死になって否定したがっている人々が多くいます。近代主義の影響を受けた有名な大学教授たちが、必死になってイエス・キリストの復活はなかったのだと論じているのは哀れなことです。聖書研究のために人生の大半を費やしておきながら、自分がキリストを信じないばかりか、他の信じている人々をもつまずかせるような本を書き論文を書いているのです。なんと悲惨なことでしょうか。彼らもまた、後の日に、御使いでなく再臨の主を見て恐ろしさの余り震え上がって、死人のようになるでしょう。
 しかし、イエス様が私の罪のために十字架にかかってよみがえられたことを信じているあなたがたは、恐れる必要はありません。復活したイエス様は、後の日、私たちを迎えに来てくださいます。喜んでお迎えすれば良いのです。


(4)「ガリラヤで再会しよう」
さて、御使いは女たちに、弟子たちへの伝言を頼みます。その内容は、「ガリラヤに行け、そこで会おう」ということでした。

28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
28:7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
28:8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。

 さらに、マタイ伝は、主イエスご自身が女たちに現れて、やはり「ガリラヤに行け」と告げられたとあります。

28:9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
28:10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」

 御使いが、そして、主イエスが、「ガリラヤで再会しよう」と弟子たちに伝えたのはなぜでしょう。ガリラヤは、主が弟子たちと出会い、ともに福音の宣教をした地でした。シモン・ペテロを初めとして弟子たちは主イエスを見捨てて逃げ出してしまって、挫折感の中にありました。そこで、「君たちを弟子として召した、あのガリラヤの地に戻って、やり直すのだ」とおっしゃっているのでしょう。「挫折したら、それで終わりではない、原点に返って、再出発するのだ」いやむしろ「これまでは、私のもとでの訓育のときだった。さあ原点に立ち返って、君たちの働きの本番はこれからだ。」とおっしゃっているのです。

3.隠蔽工作

 さて、女たちが弟子たちのもとへイエス様の復活の報せに走ったとき、あの墓の前で気絶していた番兵たちは目を覚まして祭司長たちのもとに走って報告しました。すると、祭司長たちはいつもの得意技でカネで番兵たちを抱きこんで、偽証を依頼するのです。

  28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。 28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

 このユダヤ当局の隠蔽工作は成功したでしょうか?もし成功したとしたならば、イエス様を信じる私たちはここにいないことでしょう。成功したのはほんのしばらくの間のことでした。「隠されているもので露わにされないものはない」と主イエスがおっしゃったとおり、主イエスの復活の事実は隠しようがありませんでした。ユダヤからサマリヤ地方、ガリラヤ地方、そしてアフリカ、アジア、ヨーロッパまでみるみる広がっていったのです。
 それは、一つにはイエス様の復活が事実であったからです。事実を隠そうとすればするほど、あちこちつじつまが合わなくなってしまうからです。イエスが復活しなかったとすれば、話のつじつまが合わず、イエスが復活したとすれば、つじつまが合うのです。
 主イエスが死んだという事実はユダヤ当局も、イエスの弟子団もともに認めていることですから、問題の焦点は、「イエスの亡骸はどこにあるのか?」ということです。亡骸をもっているのは、ユダヤ当局の側か、あるいはイエスの弟子団の側ということです。もしユダヤ当局がイエスの亡骸を持っているのだとすると、彼らは「イエスは死んだ。復活などしてない」と主張したいのですから、イエスは復活したと主張する弟子たちに対して、「見ろ。ここにイエスの亡骸はここにある」と主張したはずです。しかし、彼らは亡骸を持っていないので「亡骸はイエスの弟子たちが盗んだのだ」と主張したのです。
 では、イエスの弟子団がイエスの亡骸をもっていたと仮定するとどうでしょうか?もしそうだとすれば、弟子たちは死んで日に日に朽ちていくイエスの亡骸を知っているのです。だとしたら、どうして弟子たちは「イエスは復活しました。!!」とおおっぴらに証言するでしょう。彼らはキリストは復活したと馬鹿げた嘘をついた引き換えに、拷問されることも、死刑にされることさえも恐れなかったという、バカバカしいことになってしまいます。これではつじつまが合いません。不合理です。
空っぽの墓にかんする唯一合理的な答えは、実際に、イエス様は死からよみがえられ、弟子たちはイエス様に何度も会ったということです。だからこそ、弟子たちは、復活の約束を得て死に対する恐れから解放されて大胆に『イエスは復活しました。私たちはその証人です。」と証言をしたのです。これが事の真相です。

結び
 イエス・キリストは、私たちの罪のために死んでくださり、その死をもって、私たちの罪の呪いをなめ尽くして後、みよみがえられました。その後イエス様は40日間地上におられて後、天に帰り父なる神の右で世を支配しておられ、聖霊を教会を送ってくださいました。私たちは聖霊によって、よみがえられたイエス様から日々力と喜びをいただいて生きているのです。
 主はよみがえられました。まことに主はよみがえられました。