苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

折り取られた鉄のくさび

 聖書考古学に詳しい友人がこの秋、休みを取って、エルサレムに行くそうなので、お土産を楽しみにしている。ゴルドンのカルヴァリのそばの「園の墓」の入り口のわきに突き刺さっているという折り取られた鉄のくさびをしっかりと見て、写真を撮って来てくれるように頼んであるのだ。撮って来てくれたら、写真をブログにアップしたいと思っている。きょうはその鉄のくさびについて。

 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
                        マルコ16:1−6


 日本で墓石といえば、墓の上に立っている記念碑めいたあの石のことを意味するが、ここでいう石は主イエスの墓穴の前に立てかけられた、封印石のことである。
 紀元三十年四月第二金曜日、午後三時すぎ、主イエスが十字架から取りおろされたとき、それまで自分がイエスを信じることを隠していたアリマタヤ出身のヨセフという人物が勇気を出してイエスの亡骸を引き取りたいと申し出た。そして、自分のために用意しておいた墓に主イエスのなきがらを葬った。イエスを処刑したユダヤ当局とローマ総督府はイエスの亡骸が墓から盗まれることを恐れて極めて厳重に、この墓を封印し、番兵までつけた。

「そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。」マタイ27:66



 今日エルサレムにある、キリストの墓とおぼしき横穴式の「園の墓」を考古学者が調べたところ、この墓の入り口に立てかけられたこの円盤状の封印石は、厚さ60センチ弱、直径4メートルもあったと推定される。これは異例の大きさで、アリマタヤのヨセフが金持ちだったと聖書に特筆されているのも、なるほどと思う。厚さについては、墓の入り口にはU字溝のように石で溝が造られていて、そこをレールとして円盤状の封印石を転がすのだが、その溝の幅が60センチほどであるからである。直径については、この墓石が立てかけられたあと、石の両側に厚さ3.8センチもある太い鉄のくさびが打ち込まれたのだが、その鉄のくさびの切れ端が岩壁に残されていて、左右の鉄のくさびの距離が4メートルほどであるからである。このことから推定すると、この封印石の重さは、なんと十三・八トンもあっただろうと見積もられている。ところが、この封印石を左右から固定したあの太い鉄のくさびの先はボキリと折り取られてしまっているのだ。技師によれば、この鉄くさびを折るには、約六十トンから八十トンの力が必要だという。(以上のことは、ジョナサン・グレイという人が『契約の櫃』という本に書いているのだが、トンデモものの好きな徳間書店の本なので、筆者は、それが事実かどうかを実地に確かめたいと思っているわけである。)
 主イエスのなきがらが葬られた翌々日の日曜日未明、あの鉄のくさびは折り取られ、墓の封印石は動かされた。だれにこんなことができただろう。番兵たちは自分たちが寝ている間にこっそりとイエスの弟子たちが来て墓石を取り除けてイエスのなきがらを盗んだと証言している。しかし、人間が音も立てずあの鉄くさびを折り取り、墓石を取り除けることがどうしてできよう。あなたは、イエスの墓の封印石を取り除けたのは誰だと思うだろう。

「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。」マタイ28:1,2

(通信小海91号 2001年5月号に加筆)
写真はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~elisha/armageddon-9.htmおよびhttp://hirotake-k.blog.so-net.ne.jp/2009-05-12-5より