苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月9日  主があなたのいのちを守ってくださる

第121篇
口語訳
都もうでの歌
121:1わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、どこから来るであろうか。
121:2わが助けは、天と地を造られた主から来る。
121:3主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。
あなたを守る者はまどろむことがない。
121:4見よ、イスラエルを守る者は
まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5主はあなたを守る者、
主はあなたの右の手をおおう陰である。
121:6昼は太陽があなたを撃つことなく、
夜は月があなたを撃つことはない。
121:7主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、
またあなたの命を守られる。
121:8主は今からとこしえに至るまで、
あなたの出ると入るとを守られるであろう。


新改訳
121:7 【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。


新共同訳
主がすべての災いを遠ざけてあなたの魂を見守ってくださるように。
詩編121章7節

 ローズンゲンでは新共同訳121:7のみなのだが、短いので口語訳は全編掲げてみた。賛美歌にもなっている有名詩篇である。都のぼりの歌の位置としては、巡礼が荒野の旅の途上、草一本はえていない岩山を見上げて、「わが助けはどこからくるのか」とつぶやく場面。
 口語訳、新改訳は「命」「いのち」と訳したネフェシュを、新共同訳は「魂」と訳した。つねに生命の危機と背中合わせの荒野の旅という文脈からするならば、ここは「魂」でなく、「命」「いのち」が適切ではなかろうか。
 口語訳、新改訳は「守られる」と断定しているところを、新共同訳は、「見守ってくださるように」と願望に訳しているのが特徴。8節でも同じである。シャマルの時制は未完了。英訳聖書では、これをwillと訳すものとshallと訳すものとがある。shallのほうが願望の意味がつよいのだろうか。ようわからん。私としては、願望、祈りとして訳すよりも、「あなたのいのちを守られる」と断定してもらったほうが、安心する。エルサレムを目指し、荒野を旅する巡礼にとってもそうではなかろうか。
 この日も、主があなたのいのちを守ってくださる。