苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月5日  息る

詩篇31:5
口語訳
わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。
主、まことの神よ、
あなたはわたしをあがなわれました。


新改訳
私の霊を御手にゆだねます。
 真実の神、【主】よ。
 あなたは私を贖い出してくださいました。


新共同訳
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。(詩31:6)

 魂、霊と訳されたのはルアハ。息、風という意味もある。もちろん、これは霊でよい。「いきる」というヤマト言葉は、「息をする」という意味なのかなあ。風を肺に出し入れしている状態が、「息る」ことであり「生きる」ことである。おもしろい。
追記> 岩波古語辞典で調べると、やはり「息」と「生き」は同根だという指摘がある。しかも、「息と生きを同根とする言語は、世界に例が少なくない。例えばラテン語spiritusは息・生命・活力・魂、ギリシャ語anemosは空気・息・生命、ヘブライ語ruahは風・息・生命の根源の意。」とある。


 新共同訳のみは「贖ってください」と願望になっている。二人称qalの完了形だから、完了に訳すのがふつうだと思うけれど。わたしを神が贖ってくださったから、私の霊を御手に委ねることができるのではないか。贖っていただいたという救いの事実があるので、やすんじて委ねるのではないか。

追記>に人称qal完了だが、hが語末にあるので願望と解されるとのこと。英訳ではNIVが願望に訳している。