苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月11日  淵の底から

上京しておりました。

詩篇38:22
口語訳
主、わが救よ、
すみやかにわたしをお助けください。


新改訳
急いで私を助けてください。
主よ、私の救いよ。


新共同訳
わたしの救い、わたしの主よすぐにわたしを助けてください。(詩38:23)

語順を訳文にすなおに保存したのは新改訳。さすがトランスパレントな訳を志すという新改訳らしい。
38篇を読むと聖書読みなら誰しもヨブ記を思い出すだろう。たいへんな苦しみのなかでの嘆き。淵の底からの切実な叫びである。だが、この詩人が神が太鼓判を押した義人ヨブとちがうのは、「わたしは、みずから不義を言いあらわし、わが罪のために悲しみます。」という点であり、その意味で私にも近づきやすい。だが、このように叫ぶような、むしゃぶりつくような、神様のほうからすれば手ごたえのある祈りを、なかなかささげられない自分がいる。隣の韓国のクリスチャンたちにはこういう祈りの文化があるけれど、どうも日本人には禅的な静寂主義がしみついてしまっているのだろうか。生ける神と討論するような、そういういきいきとした祈りにあこがれるが、なかなか身につかない。

ヘブル書5章7節
5:7キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。