苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月22日   列強は塵のように

イザヤ書40章15節a
口語訳
見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、
はかりの上のちりのように思われる。


新改訳
見よ。国々は、手おけの一しずく、
はかりの上のごみのようにみなされる。


新共同訳
見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、
天秤の上の塵と見なされる。

 口語訳は「もろもろの国民」、新改訳・新共同訳は「国々」と訳すことばはgoim。英語ではnations。歴史を支配したもう主が、終末の審判で、国々またはもろもろの国民をさばきたまうが、国々は、一滴のしずく、塵にすぎないのだということ。
 また、口語訳、新共同訳は「ちり」新改訳は「ごみ」と訳すことばは、shachaq。「塵」のほうがふさわしいでしょうね。天秤のお皿の上に生ゴミ、粗大ゴミなんていうのが目に浮かんでしまいます。やはり、最後の審判をイメージすることです。
 「一等国だ」「世界の列強だ」と胸を張る国々、世界平和を唱え、世界の警察を自負しながら片方で武器輸出をして戦争をたきつけて金儲けしている常任理事国の欺瞞は、主の前で暴かれて、主の鼻息で塵のように吹き飛ばされてしまう。誰かの夢見る「美しい国」は塵にすぎない。いや、やっぱりゴミかな。
 本当の「美しい国」は他国を踏みつけにし、一部の金持ちのために自国民を奴隷のように酷使するような国ではなく、自国民も他国民も幸せにするために仕えるしもべとしての賢明なリーダーのいる国である。主がそのような指導者をこの国にも立ててくださいますように。