苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月13日(火)  主を求める

詩篇 119:2

新改訳
幸いなことよ。
主のさとしを守り、
心を尽くして主を尋ね求める人々。

新共同訳
いかに幸いなことでしょう。
主の定めを守り、
心を尽くしてそれを尋ね求める人は。

 詩篇119篇は、みことば、さとし、いましめ、定め・・・といろいろ言い代わられはするけれども、いずれも「みことば」に関する長い長いいろは歌である。新改訳は、第三行目「主を尋ね求める」として、新共同訳は「それを尋ねもとめる」としている。つまり、新共同訳は「主の定めを」尋ねもとめるとしている。口語訳、そしてBibleHubの英訳聖書はみなseek himとしている。私には、主のさとしを求めることをもって、主ご自身を求めるというほうがほんとうのように思える。求める、尋ねもとめるはdarash。
 
 書斎の窓から見える里山が、もみじし始めた。