苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン3月1日   恵みと真実

詩篇36:5

【主】よ。あなたの恵みは天にあり、
 あなたの真実は雲にまで及びます。(新改訳)


主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、
あなたのまことは雲にまで及ぶ。(口語訳)


ヱホバよなんぢの仁慈は天にあり なんぢの眞實は雲にまでおよぶ(文語訳)


主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。(新共同訳)

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 恵み(ヘセド)と真実(エムーナー)は、契約に現れた主のご性質。これを天を見上げてたたえる詩人。訳文についていえば、「恵みは天にあり」の「に」にあたるのはb、で「雲にまで及ぶ」の「にまで」にあたるのはadで、それを忠実に訳したのは新改訳と文語訳。新共同訳の「満ちている」はヘブル本文にはない。この節には、動詞はひとつもないから、そのまま訳せば、「【主】よ。あなたの恵みは天に、あなたの真実は雲にまで。」である。
 それはそうと、恵みと真実(まこと)というセットは、聖書の多くの箇所に出現し、ここでは天に雲(大空)にとある。天に、雲に、というのは主の恵みと真実の崇高さを表現したのだろう。ただ、現代人の印象から言うと、「雲」では飛行機に乗ってゆけば届いてしまい、自ら雲の上にまで達してしまうので、う〜んいまひとつかな、と感じてしまうのが悲しい。
 それはともかく、天にあり大空におよぶ恵みとまことが、ひとりの人格に結晶して私たちの歴史の中に現れてくださった二千年前の奇跡は、まことにありがたい。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)