詩篇106:6
私たちは先祖と同じように罪を犯し、
不義をなし、悪を行った。(新改訳)
われらは先祖たちと同じく罪を犯した。
われらは不義をなし、悪しきことを行った。(口語訳)
われら列祖とともに罪ををかせり 我儕よこしまをなし惡をおこなへり (文語訳)
わたしたちは先祖と同じく罪を犯し不正を行い、主に逆らった。(新共同訳)
他の訳が「悪を行った」と訳すところを、新共同訳のみ「主に逆らった」と訳したのは、いかがなものか。たしかにあらゆる罪は主に逆らうことであるから、まちがいではないだろうけれども。新共同訳の翻訳理論によるのだろう。
それはそうと、詩篇106篇は、歴史を振り返り自分の世代の罪と先祖の罪がつながっていること、同質であることを告白する詩篇。ダニエルやネヘミヤもこうした意識をもっていた。個人主義的な価値観の現代、戦前・戦中の教会の偶像礼拝、侵略戦争への加担の罪が、なぜ我々と関係があるのかという疑問を呈されることがあるけれども。
先祖の罪を他人事のように断罪するのは傲慢である。だが先祖の罪を見ないことにしてしまうならば、また同じ罪を犯すだろう。先祖の罪をわが罪として告白すること。
リンク先の3章を参照
http://www.church.ne.jp/koumi_christ/shosai/church-state.pdf