苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月16日 主は正しい

哀歌1章18節

ヱホバは正し 我その命令にそむきたるなり(文語訳)

主は正しい、
わたしは、み言葉にそむいた。(口語訳)

【主】は正義を行われる。
 しかし、私は主の命令に逆らった。(新改訳)

主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。(新共同訳)

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 翻訳の特徴についていえば、新改訳のみが「しかし」という接続のことばを入れている点。ヘブル本文ではキーという、通常、becauseにあたることばがある。
 もう1つは新共同訳が「主の口に背いた」と直訳中の直訳をしていること。ヘブル本文では確かに「口(ペー)」なのだ。新共同訳は自由訳っぽいのだが、ここは異常に直訳。おそらく、先行する翻訳とちがう色を出したかったのだろうが、これは失敗。
 それはさておき・・・。
「主は正しい」これが信仰者の生きることの大前提。たとい何があっても主は正しい。主が正しくなければ、宇宙は成り立たない。パウロのことばを思い出した。

「それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。」ローマ9:14