苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン3月3日  地は主の恵みに

詩篇33:5

地は【主】の恵みに満ちている。(新改訳)


地は主のいつくしみで満ちている。(口語訳)


その仁慈はあまねく地にみつ(文語訳)


地は主の慈しみに満ちている。(新共同訳)

 今朝は、このみことば。恵み、いつくしみ、仁慈、と訳されることばはヘセド。それが、地に満ちている。ここはヘブル語本文でも一昨日のようにただあるというのではなく、ちゃんと満ちている(マーレー)という言葉がある。
 ローズンゲンの旧約のほうは、膨大な数の聖句カードからくじ引きで決められる。そのくじ引きに現れる主の配慮があると信じるところに意味がある。ニュースで、毎日のようにさまざまな不幸な事件や、政治家たちの見え透いた嘘を聞かされて、そして自分自身の心の闇を見て、ここに満ちている主の慈しみを見失わないようにと、配慮してくださっているのだろう。
 どんなに雲が垂れ込めていても、雲の上にはいつも太陽が輝いているというけれど、ここは「地」に満ちているというから、もっと信仰の目が開かれている。