苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズゲン10月3日 神の心をとらえる男

サムエル下15:26
口語訳
しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。


新改訳
もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」


新共同訳
「主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように。」

 四年にわってイスラエルを篭絡し周到な準備の後、息子アブシャロムがダビデに叛いて挙兵したとき、ダビデは自分の息子の力量をわきまえていたから、民とともに都から落ちるほかないとただちに決断した。 そのとき、彼は神の契約の箱をあえて持ち出すことをせず、上のことばを語った。ダビデは人間的魅力とともに欠けも目立つ人物であるけれど、神の前における敬虔な態度は実にすばらしい。すばらしいというか、こういうところが、神の心をキューッと捉えるのだろうと思わされる。さすがの神様も胸キュンだ。ダビデは、このたびの謀反という出来事にあたって、アブシャロムを見ていなかった。彼がそこに見ていたのは、神の御手である。自分は神に打たれて当然のことをしたから、神よ、存分に打ってください、打つだけで不十分でしたら、この首もはねてくださいと差し出す。神を畏れ、神を信頼して。こういう態度は、神のお心をとらえてしまう。