苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン9月7日  神のことば

(詩119:154)
口語訳
わが訴えを弁護して、わたしをあがない、
あなたの約束にしたがって、わたしを生かしてください。

新改訳
私の言い分を取り上げ、私を贖ってください。
みことばにしたがって、私を生かしてください。

新共同訳
主よ、わたしに代わって争い、わたしを贖い、
仰せによって命を得させてください。(詩119:154)

 いろは歌詩篇のレシの箇所。
 翻訳としては、「わが訴えを弁護して」「私の言い分を取り上げ」「主よ、わたしに代わって争い」の部分がそれぞれ特徴的。新共同訳のみ「主よ」という呼びかけが入っているのはなぜだろう?リーブは英訳ではdefenf, arague, pleadとあり、邦訳では苦労しているなという印象だが、意味は同じ。とにかく、神に自分の訴えを取り上げてくれと激しく訴えている。こうした激しい訴えの祈りは、聖書において多く、フォーサイスが特にとりあげているところである。静寂主義的な瞑想、禅的瞑想は、聖書を起源とするものではない。神と人との真剣なやりとり、戦い、そこに聖書的な祈りの理想がある。どうも、自分には足りないところだ、と若いときから感じている点。神様としては、「物足りない奴だ」と感じていらっしゃるだろうか。
 「約束にしたがって」「みことばにしたがって」「仰せによって」いずれも、みことば詩篇119篇の特徴。イムラーということばは、命令、ことば。神のことばには権威があり、私を救い出す力がある。だから、私は「言葉」という表記に抵抗がある。神のことばは、葉っぱのようにひらひらと飛んでいってしまうものではない。この全宇宙を支えているのが、神のことば。