苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月5日  みことばに震え上がる

主に不可能なことがあろうか。(創世記18:14 新共同訳)

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 諸邦訳にさしたる違いはない。
 場面は、マムレの樫の木のところで、陽炎が立つような日盛りにアブラハムが三人の旅人をもてなしたところ。三人のうちひとりが主ご自身であった。主は、来年、長年待ちに待った子が妻サラによって生まれると約束をした。それを天幕の陰で聞いた妻サラは笑った。自分たち夫婦のような枯れ木に花が咲き、実がなるものか、と、長年の期待と失望と涙のこめられた悲しい笑いだった。
 だが、「主に不可能なことがあろうか。」と主ご自身が断定なさる。彼女は震え上がった。この震撼させられる経験は彼女の主の約束への信仰を回復した。イサクの誕生はいわゆる「奇跡」ではなく、老いさらばえた夫婦の信仰の営みの結果だった。
 主の御霊が迫るとき、私たちはみことばに圧倒されて息を吹き返す。