百田尚樹氏が与党国会議員の集いで、「沖縄の二紙をつぶさねば」と発言した件、さらに、「経団連にお願いして、広告料を引き上げさせて、マスメディアを懲らしめるべきだ」と発言した件について、当然、非難の声があがりました。
それに対して、「百田氏にも国会議員にも言論の自由があるじゃないか」というコメントをする人々がいます。最初は大阪府知事の発言だったでしょうか。失礼ながら、「言論の自由」とはなんであるかについて無知なコメントであるといわざるをえません。
およそ自由というのは、<何からの自由>であるかが確定されてこそ中身があります。近代民主主義における「言論の自由」の場合、「国家権力からの言論の自由」を意味します。なぜなら、憲法というのはそもそも人民の自然権を国家権力から守るためのものであるからです。自然権とは人が生まれながらにもっている諸々の権利であり、そのなかに言論の自由が含まれています。
さて、国家権力とは、わが国の場合、立法・行政・司法の三権に分けられています。国会議員たちは立法権をもった権力者たちです。格別、与党国会議員の場合は、行政権とのつながりが強いので、さらに大きな権力を持つ権力者なのです。権力者である彼らには「言論の自由」はありません。むしろ、彼らは権力者ですから、憲法によって言論を制限されることをよしとしなければなりません。それがいやなら国会議員を辞職すべきです。
ところで、日本国憲法は国民の言論の自由について、なんと定めているでしょうか。
第二十一条第一項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
したがって、国会議員には「沖縄二紙の『言論、出版その他一切の表現の自由』を制限すべきだ」と発言する自由はないのです。
では百田氏はどうでしょうか。彼は一般人であって権力者ではありません。そういう意味では、彼は憲法によって言論の自由が保障されています。しかし、問題は百田氏が立法府の与党議員という権力者たちに対して、「二紙の言論の自由を奪い去れ」と進言した点です。自分の言論の自由は確保しておいて、自分の気に入らない他者の言論の自由を、権力者に奪い去れと進言するというのは、これは言論人として許されることではありません。それはモラルに反する行為です。
ですが、最も反省すべきは、「若手国会議員」をそんなふうにのぼせ上がらせた、自民党の上層部の人々、格別、総裁である安倍氏です。過去、安倍氏はしばしば日本国憲法をあしざまに言ってきましたし、マスメディアのトップと会食をしてコントロールしてきました。また、自民党幹部は朝日新聞やNHKを呼びつけて圧力をかけても来ました。自民の若手国会議員たちは、きっと「俺たちは、尊敬する首相や官房長官や自民党の先輩たちに倣っているのに、ほめられないで、なぜ叱られるのか?」と感じていることでしょう。