苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

もう一人の助け主

ヨハネ14:16-20、16:7-16
ペンテコステ主日

序 主イエス聖霊をご自分に代わる「もうひとりの助け主」つまり、ご自分に代わる助け主として紹介なさいました。



1. 孤児にはしない 14:16-20

 場面は、最後の晩餐の席上です。主イエスが、「14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」とおっしゃったので、弟子たちは蒼ざめてしまいます。そこで、主イエスは弟子たちに、「もうひとりの助け主」として真理の御霊を派遣するから心配するなとおっしゃるのです。「助け主」ということばはパラクレートスということばです。スキーでパラレルターンといえば二本のスキーが常に離れないでいるでしょう。そのように、聖霊は常に離れずそばにいてくださるのです。クレートスというのは「呼ぶ」ということばから来ていますから、傍らにいて呼ぶ者という意味です。弁護者、励まし手です。聖霊はいつもそばにいて、「大丈夫だよ。」と声をかけてくださるお方なのです。

14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

 パラクレートス「いつもともにいて励まし慰め力づけてくださるお方」それが聖霊です。これが聖霊のなによりありがたいところです。おきているときも、寝ているときも、仕事中も、遊んでいるときも、順調なときも試練のときも、富める時も貧しきときも、健康なときも、病床に臥しているときも、聖霊はともにいてくださいます。
 イエス様は聖霊を「真理の御霊」と呼ばれました。しかし、この真理の御霊のことを神様に背いているこの世の人々は受け入れることができませんし、わかりません。

14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

 イエス様は間もなく十字架にかかって死に、三日目に復活して、その後、天に昇ろうとしていらっしゃいますが、「あなたがたを捨てて孤児にはしない」とおっしゃって、戻ってくるとおっしゃいました。ですが、これは世界の歴史の終わりの再臨のことを意味しているのではありません。そうでなく、主が聖霊を送ってくださることを意味しています。ここ、特に20節は聖霊と父と子の三位一体の神秘に関する非常に重要な箇所です。

14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。

 真理の御霊が私たちの中に住んでいらっしゃるとき、天にいます御子と父なる神の臨在がここにあります。これは三位一体の神秘です。人間の理屈で考えると、父なる神と御子は遠い天におられ、聖霊だけがここにいますということになりますが、三位一体の神の臨在というものはそういうことではないのです。聖霊がともに住まわれるとき、私たちは御子と御父なる神がともにいてくださることを現実に経験するのです。だからこそ、私たちは「天の父なる神様」と御子イエスの御名によって祈るのです。
 また、そうしてイエス様のことを知った人は、万物の創造主である父なる神様のことも身近に感じるようになります。御子は御父の栄光をあらわすからです。また、イエス様の御霊を受けた人は、神様を、自分は神の子どもであると知り、神を父と認識するからです。
 父と子と聖霊の三位一体は、人間の論理の次元では説明し尽くせるものではありませんけれども、聖霊を受けた私たちはその神秘を悟ります。


2.真理の御霊の働き 16:7-16

(1)誤りから救い出し、真理に導く
 続いて聖霊さまの働きについてイエス様が教えてくださったところからです。

16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

 イエス様は、ご自分が弟子たちのもとを去ってゆくことが弟子たちにとって有益なことなのだと仰せになりました。なぜでしょう。「イエス様がずっといっしょにいてくださったほうが、ずっといいよ」と弟子たちは思ったことでしょうに。イエス様は目に見えるし、手で触ることも出来るし、その声を聞くこともできますからね。
 しかし、考えてみれば、イエス様を肉眼で見、手で触れ、耳でその声を聞いたからといってみんながみんなイエス様を信じたわけではありません。無関心で何も気づかずに通り過ぎた人もいれば、激しく反発してイエス様に反抗し殺した人たちもいました。
どのような点において、助け主である聖霊が注がれることのほうが、弟子たち、私たちにとって有益だとイエス様はおっしゃるのでしょう。それは、助け主である真理の御霊は私たちを誤りから救い出しすべての真理に導きいれることです。主は次のようにおっしゃいました。

16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

  何が罪であり、何が正義なのか?人はいろいろな理屈を言います。「神などいない」「死んでしまえばすべてなくなる」「自己実現こそ人生の目的だ」「神様仏様と呼ばれるものはなんでもいいから拝んどけ」等々。私たちの先祖が神に背いて以来、私たち人間は何が正しく何が罪であるかを知らないのです。聖霊がうちに住んでくださるようになって初めて人は、今まで自分が正しいと思っていたことが罪であったのだと悟るようになり、かつ、真理を悟るのです。
Aさんにイエス様のことを伝えようとしましたら、その人は「自分は自分の良心に対して恥じることのない誠実な生き方をしているから、神など要らない。」と言われました。Aさんはやがて聖書を読み、イエス様を信じて洗礼を受けたのです。その後、話をしていて、「イエス様を信じる前、『自分は良心に恥じることのない生き方をしているから、神は要らない』と言っていましたよね。」という話題になったら、Aさんは「良心に恥じることはない、なんて言っても、結局、適当に自分でごまかして生きていたんですよ。」と言われました。また、「神様に太陽も空気も水も家族もいのちそのものも、すべてのよいものをいただいていながら、それを感謝もしないで、自力で生きているなんて思っていたこと自体、とんでもない思いあがりでした。」と頭をかいたことです。何が起こったのでしょう?聖霊がAさんのうちに住まわれるようになって、罪について義についてさばきについて、その誤りを認めさせたのです。

 私たちは、つい生身のイエス様にお目にかかれたお弟子たち、その時代のイスラエルの人たちはなんと幸運な人たちだろうと考えがちです。けれども、私たちのほうが、あの十二弟子たちよりも、真理を明らかにされています。それは、ペンテコステ以来聖霊が私たちのうちに住んでいてくださるからです。

16:12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

 実際、十二弟子たちはペンテコステ以前、イエス様の十字架の死と復活、その意義を知りませんでした。イエス様はご自分の死と復活を何度も予告なさり、また、その死が、多くの人々の罪の贖いのためであると予め弟子たちに教えられましたが(マルコ10:45)、弟子たちはそれを決して悟りませんでした。今日のわたしたちの観点からいえば、それで、よくイスラエルの人々に福音を伝えたものだと感じます。実際にイエス様が十字架にかかって三日目によみがえられ、天に帰られた後、聖霊使徒マタイ、パウロヨハネヤコブやマルコ、ルカと言った人々を霊感をもって導いて新約聖書27巻が書き記されて、旧約聖書39巻とあわせられて、初めて私たちはすべての真理を知ることになったのです。私たちは、こうして真理の御霊によってすべての真理に導きいれられているのです。そういう意味で私たちはたいへん恵まれた時代に生かされているのです。


(2)御霊の働きの焦点
 すべての真理の中でとくに肝心なことは、御霊は自分の栄光ではなく主イエス・キリストの栄光を表すという点です。ですから、御霊の働きはイエスは主であると告白させることが中心です。キリスト告白を離れての聖霊の働きはありません。聖霊に満たされた人は聖霊を強調するのではなく、イエス・キリストを告白します。
聖霊を受けた人はイエス様のことをとても身近な存在として意識をするようになります。そうです。聖霊はキリストのことをあかしすることに徹してくださるので、私たちは聖霊を受けるとき聖霊よりも、イエス様がともにいてくださることを実感するようになります。15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

16:14 御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。


 そして、天の父のもとにあるすべてのよきものを御子は受け取り、御子は御霊を通してそれらを私たちに賜るのです。ここにもやはり三位一体の神のお働きの姿があります。

16:15 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。


結び
 私たちは、イエス・キリストが神の御子キリストであると信じました。それは、私たち自身の理解力によるのではなく、御子のくださった聖霊が私たちの中に住んでいて、私たちに教えてくださるからです。私たちは神の前に自分が罪ある者だと知っています。それは聖霊が私たちにその事実を悟らせてくださったからです。しかし、私たちは天の父が私たちを愛するあまり御子をくださり、十字架にかけて私たちの罪を償ってくださったことを知っています。また、御子イエスが復活なさったことを知っています。それは、聖霊が私たちのうちに注がれているからです。私たちは父と子と聖霊の三位一体の神の愛が私たちに今も注がれていることを知っています。それは聖霊が私たちに教えてくださったからです。 御名をあがめて感謝しましょう。