苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月23日  主を待ち望む

詩篇25:3
實になんぢを俟望むものははぢしめられず
故なくして信をうしなふものは愧をうけん(文語訳)

すべてあなたを待ち望む者をはずかしめず、
みだりに信義にそむく者をはずかしめてください。(口語訳)

まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。
ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。(新改訳)

あなたに望みをおく者はだれも、決して恥を受けることはありません。
いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。(新共同訳)
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翻訳上の異同については、1つは口語訳のみ「はずかしめてください」と願望に訳している点。Qal未完了三人称でゆるい願望とも訳されうる。キングジェームズ訳は願望に取っている。
 異同のもう一点は、新共同訳は「人を欺く」と「人を」というヘブル本文にないことばを補っていること。これは余計なことで、そのために、前半と後半の並行関係がこわれてしまっている。ここにはシンプルな並行関係がある。
  神に待ち望む→恥を見ない。
  神を裏切る→恥を見る。
 だが、ここでいう「恥bosh」とは対人関係における恥ではなく、神の御前における恥を意味するのではなかろうか。
 せっかくの実が散らされていくように思えるとき、主を待ち望もう。神に望みを置こう。揺るがされるな。