苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月22日

なんぢ簸げば風これを巻さり
狂風これを吹ちらさん
汝はヱホバによりて喜び
イスラエルの聖者によりて誇らん(文語)


あなたがあおげば風はこれを巻き去り、
つむじ風がこれを吹き散らす。
あなたは主によって喜び
イスラエルの聖者によって誇る。(口語)


あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、
暴風がそれをまき散らす。
あなたは【主】によって喜び、
イスラエルの聖なる者によって誇る。(新改訳)


あなたがそれをあおると、風が巻き上げ
嵐がそれを散らす。
あなたは主によって喜び躍り、
イスラエルの聖なる神によって誇る。(イザヤ41:16)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 むずかしい。ローズンゲンは後半部だけを取り上げているのだが、文脈のなかで読もうとするとむずかしい。
 「それを散らす」の「それ」は主が打穀機として用いられたイスラエルによって粉々にされた山々、丘のことを意味していて、高ぶる諸民族を意味しているようだ。山々が平地にされるというイメージはしばしば出てくる。高ぶる者が神によってへりくだらせられるというふうに書かれている。ここもそのようなことであろう。
 それにしても巨大なハンマーで岩を打ち砕くというならばわかるが、なぜ実と籾殻を分ける打穀機なのか?へんてこで無理はあるけれども、分ける、さばく、ということを意味しようとしているのだろう。
打穀機としてイスラエルが用いられるとはどういうことなのだろう?アブラハムにいわれたように「あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」というふうに用いられるということなのか?
 今朝のローズンゲンはそんな具合でわからないことだらけなのだが・・・。
 バプテスマのヨハネの預言で、来るべきメシヤが手に箕をもっておられて、殻と実を分けてしまうと告げたことを思い出させられる。殻ばかり立派で、吹き飛ばされてしまうむなしい者でなく、中身のある信徒でありたい。