苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月6日 親の愛、神の愛

詩篇27:10
わが父母われをすつるともヱホバわれを迎へたまはん(文語)

たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。(口語)

私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。(新改訳)

父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。(新共同訳)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 今年になって詩篇27篇は二回目、いや三回目かもしれない。主を慕う詩人の詩が、印象深く記されているのがこの一篇である。
 子を思う親の愛は、まことに神のたまわった天的な賜物であると思う。母親はそのいのちをかけてわが子を産む。親は子のために朝早く起きて夜遅く寝て懸命に働く。その唯一の報酬は子どもの笑顔だろうが、子どもが青年期をむかえると笑顔さえ向けてもらえなくなり、「うざい」「くさい」とか言われても、なお子のためにささげつくす。ああ、せつない親の愛。考えてみれば、親の愛は異様。それは、神の賜物としか思えない。
 しかし、親の愛も限界がある。親さえも子を捨てることがあるかもしれぬ。捨てたくなくとも、親の命は尽きる日がくる。だが、たとえ親が捨てても、親が死んでも、神は私を見捨てない。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)