ある映像を見て、出エジプト記を読み直して「あ、うかつだった」と、びっくりしたこと。
2章15節「しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。」
3章1節「モーセはミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。」
これをすなおに読むと、ホレブ山はミデヤンの地にあるわけです。ミデヤンの地とはシナイ半島ではなくて、アカバ湾の東側アラビア半島の西岸地域です。
ところが、ふつう観光で出かけるホレブ山はシナイ半島のさきっぽ近くのジュベル・ムーサではありませんか。シナイ半島でホレブ山と言われているのは、4世紀にコンスタンティヌス大帝のお母さんが公認して以来なんだそうです。
パウロも、ガラテヤ4:25で「アラビアにあるシナイ山・・・」と言っています。
もうひとつ言えば、シナイ半島は古来エジプト領ですから、紅海を渡ってシナイ半島に行っても、それでは出エジプトにはならないのです。アカバ湾を越えて向こう岸に渡れば、それはエジプト脱出になります。ちなみに、聖書には「葦の海」を渡ったとあって、紅海を渡ったとはありません。「葦の海」はアカバ湾だったということになります。
この説は、サンライズミニストリー(セブンスデー・アドベンチスト)の提供した映像にあります。いくつもの聖書考古学の映像が提供されていて、玉石混交という印象がありますが、ホレブ山にかんするものは玉であると思います。
リンク先は下記です。
http://www.youtube.com/watch?v=QdMDm3apWzU
<追記2014年3月13日>
ホレブ山はシナイ半島でなく、ミデヤンの地にあるという説に基づいた地図が、よく使うBible Hubという聖書ソフトの地図にはいっていました。4世紀からの伝統的な説と、この説が併記されているのはよいことだと思います。