苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月10日  祭司の王国、聖なる国民として

申命記30章2,3節

あなたの神、【主】に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、 あなたの神、【主】は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、【主】がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(新改訳)

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 祭司の王国、聖なる国民として、選ばれたイスラエルの民が、神のみことばにしがたって、祭司の王国として世界に祝福をもたらすとおり管としての務めを果たすならば、彼ら自身祝福されるはずだった。
 だが、神のことばに背いて、神ならぬものを神として礼拝し、また、その社会も神のことばに背いて、金持ちのみ優遇し、みなしごやもめ、在留異国人の訴えが取り上げられない不公正な社会としてしまうならば、イスラエルは他国の軍隊によって攻められ滅ぼされ、ついには民はあるいは捕囚となり、あるいは散らされてしまうと警告されていた。 だが、その懲らしめのなかで悔い改めるならば、神は再び彼らを回復させてくださる、という約束が与えられた。
 申命記に記される警告と約束は、イスラエルの歴史のなかで繰り返し起こってきた。

 新約の時代の神の民としても、自分が祭司の王国として聖なる国民として、あるいは地の塩、世界の光として、この世界に置かれていることをきょうも忘れないで歩みたい。せっかく、主イエスがそのいのちに代えてまで私を贖ってくださったのだから。