苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

預言者の知性

 そのとき、【主】は御手を伸ばして、私の口に触れ、【主】は私に仰せられた。
  「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。
   見よ。わたしは、きょう、
  あなたを諸国の民と王国の上に任命し、
  あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、
  あるいは滅ぼし、あるいはこわし、
  あるいは建て、また植えさせる。」
          エレミヤ書1章9,10節

 旧約の預言者は、特別なことでなく当り前のことを語る人々だった。申命記には、<イスラエルの民が祭司の王国としてふさわしく、神を愛し隣人を愛する生活をしていれば、神は彼らをあらゆる面で祝福なさる。だがもしイスラエルが偶像を拝み、みなしご、やもめといった社会的弱者をないがしろにする不義の国になるならば、神は外国の軍隊をつれてきて彼らを滅ぼし捕囚の憂き目にあわせる>と、あらかじめ神が定めたイスラエルの歴史の法則が明記されていた。
 預言者が、自分の置かれた世界を見渡すと、国内には忌まわしい偶像礼拝がはびこり、金持ちたちは貧しい人々を搾取し、役人たちは賄賂で腐敗して、やもめとみなしごの訴えは聞かれなくなっていた。しかも、東方を見れば、強大な軍事国家が勃興してきつつある。まもなく神が外国の軍隊を呼び寄せて、この国を滅ぼして人々を捕囚として連れ去らせるであろうことは、申命記の歴史法則から明らかだった。だから、預言者たちは王と人々に悔改めを求めたが、彼のことばに耳を貸す人はなく、かえって彼らを迫害した。なぜか?彼らは、欲のゆえに現実に目を閉ざし、主の裁きのことばを受け容れたくなかったからである。だが、まもなく警告は現実となった。