苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月12日   牧者、大牧者

エゼキエル書34章2節
口語訳
「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して彼ら牧者に言え、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。


新改訳
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。


新共同訳
人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。

 エゼキエルはバビロン捕囚の最中にその地で、捕囚の民のために神が遣わした預言者だった。今、エゼキエルは「イスラエルの牧者たち」に警告せよと命じられた。ということは、この牧者たちは、過去の南ユダ王国や北イスラエル王国の指導者のことでなく、今、バビロンに住んでいる民の指導者たちを意味していると取らねばならないのだろう。バビロンの地に移住させられて来ても、民の指導者(祭司、長老たち)はなお反省せずに、民を養わずに、その立場を用いて私腹を肥やしているという状況だったことになる。今朝、改めて考えて、意外な感じがする。
 このあとに続くのは、だから、主なる神ご自身がイスラエルの牧者となるのだという展開である。それはキリストの到来によって実現する。
 今、牧師として神の民である教会に仕える務めに召されている者として、襟を正させられる今朝のみことばであり、教会の大牧者はキリストであられることに励まされるみことば。