苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月16日  王制の危険

1サムエル12:24
汝ら只ヱホバをかしこみ心をつくして誠にこれにつかへよ而して如何に大なることをヱホバ汝らになしたまひしかを思ふ可し(文語訳)

あなたがたは、ただ主を恐れ、心をつくして、誠実に主に仕えなければならない。そして主がどんなに大きいことをあなたがたのためにされたかを考えなければならない。(口語訳)

ただ、【主】を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。(新改訳)

主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。(新共同訳)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 場面は、イスラエルの民が王を強く欲したので、老サムエルが神の命令によって彼らに王を立てながらも、警告を同時に与えた場面。
 それまで、神が民を治め、士師は補助者だったが、民は周囲の諸民族が強力な王と軍隊を持つ姿が勇ましくかっこいいと感じた。「われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(1サム8:20)。神はサムエルを通して、王を立てれば重税・苦役・徴兵がともなうことを覚悟せよと民に告げたが、彼らはそれでも王を欲した。王を求めたことは、神の前に悪であった。王は容易に一種の偶像的な存在となってしまうものであるから。
 ところが、こうして王を得たとたん、民は恐ろしくなってしまった。だが、いったん王を神に求め、神から与えられた以上、その王制のもとで、主を恐れて、罪に陥らないように誠実に主に仕えて行きなさいというのが、本日のサムエルの勧め。「この上悪を重ねれば、あなたがたも王も滅ぼされる」ということばが直後に続く。
 子どもが、他の子どもたちが持っているおもちゃをどうしてもくれとせがむので与える。そのおもちゃは危険なもので下手をすると大怪我をするぞと警告するけど、それでも欲しがるから、不機嫌ながら与える。与えられたとたん、子どもは大怪我をするかも、と怖くなってしまう。しかし、親は、与えた以上取り上げることはせず、それを正しく用いよ、下手するとほんとに大怪我するぞと警告する、・・・そういうことだろう。
 危機と停滞の時代、停滞する黒雲を禁じ手を使って魔法のように取り去ってくれる英雄待望論が生じがちである。それは一種の偶像崇拝。そうして刹那的な繁栄の幻影を見せられて滅びていった国が歴史のなかにはいくつかある。
 今、わが国は危険な時代の節目にある。国会議員たちのために祈ろう。