苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月9日  仰せのとおりに

詩篇119:41

【主】よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、
 みことばのとおりに、私にもたらされますように。(新改訳)


主よ、あなたの約束にしたがって、
あなたのいつくしみと、
あなたの救をわたしに臨ませてください。(口語訳)


ヱホバよ聖言にしたがひてなんぢの憐憫なんぢの拯救を我にのぞませたまへ(文語訳)


主よ、あなたの慈しみと救いが、仰せのとおり、わたしを訪れますように。(新共同訳)

 いろは歌詩篇119編のワウの段。詩篇は全篇祈りであるが、とくに、みことばに基づく119篇は祈りである。この祈りはやさしい印象であるが、「みことばのとおりに」という一句をみると、この詩人は強力な祈りをする人なのだと思わされる。主は真実なお方であるから、ご自身のことばをたがえることがお出来にならない。したがって、「みことばのとおりに」「仰せのおとり」ということばは、もっとも力強い祈りの足場となる。「みことば」と訳されるイムラーは書かれたことばでなく、語られたことば。そういう意味では、「仰せのとおりに」が適訳かもしれない。モーセも、アブラハムも、主のご真実にかけてこのような祈りをささげた。
 子どもたちが巣立ち、再出発という思いがしている私も、自分の召命の原点となったみことばに立ち返って、「あの日、あなたがお命じになったとおりにしもべを用いてください」とこの朝祈る。