苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン1月21日  前祝いの讃美を

歴代誌下20:6

言った。「私たちの父祖の神、【主】よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。(新改訳)


言った、「われわれの先祖の神、主よ、あなたは天にいます神ではありませんか。異邦人のすべての国を治められるではありませんか。あなたの手には力があり、勢いがあって、あなたに逆らいうる者はありません。(口語訳)


言けるは我らの先祖の神ヱホバよ汝は天の神にましますに非ずや異邦人の諸國を統たまふに非ずや汝の手には能力あり權勢ありて誰もなんぢを禦ぐこと能はざるに非ずや (文語訳)


こう祈った。「わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておらっる方ではありませんか。御手には力と勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません。(新共同訳)

<感想>
 ユダ王国の王ヨシャパテが、異国の大連合軍が攻めてきて危機的状況のなかで民の前で祈った祈りの冒頭。
 ヨシャパテ王は自身は偶像崇拝を退けていたが、北イスラエル王国の非道な王アハブと姻戚関係をむすび軍事行動をともにしたとき、一度は戦場で敵からアハブ王と見間違えられて標的にされ死にかけた経験をもつ(18章)。この件については先見者ハナニに非難されたものの、おおむねヨシャパテの治世は公正を旨としたものだった(19章)。
 だが、その後モアブ人、アモン人、メウニム人の一部が大連合軍を編成してエン・ゲディに集結しユダ王国を滅ぼそうとした。その大軍に対してユダ王国は自力ではまるで勝ち目はなかった。そこで王は恐れ、民に断食を布告し、主の助けを求めてエルサレム神殿で民の前で祈った。その冒頭が、本日のローズンゲン。
 祈りに対する答えは、主の霊がレビ人ヤハジエルに与えられた。<おじけづくな、主がこの戦いを戦われるから、あなたがたは戦う必要はない。>ということだった。民は主にひれ伏して大声で主を讃美した。
 翌朝、ヨシャパテは軍隊の先頭に聖歌隊を進ませ、「主に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。」と高らかに歌わせた。ユダの軍は手を出さないのに、敵連合軍は主にかく乱されて、自滅してしまった(20章)。エジプトを脱出したイスラエルに追いすがるエジプトの大軍を、主が葦の海で滅ぼされたあの出来事を彷彿とさせられる。
 四面楚歌という事態にあって、なお仰ぐべき全能の主をもつ身の幸いを思う。自ら戦う必要もないとされたヨシャパテは、聖歌隊を先頭に立てて前祝いをするかのごとく、主を讃美した。
「主に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで!」


追記>FB友に興味深いことを指摘していただいた。「対抗してもちこたえる」「逆らう」「立ち向かう」と訳される動詞「ヤーザブ(set oneself,take one's stand」は「Hithp.(再帰能動詞)形」でしか用いられない。自分では「何かに立ち向かっている」積りでも、実は「自分で自分と格闘している」にすぎない。
 まさに、連合軍は自滅したのだった。