苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

昭和天皇の思惑・・・9条2項と米軍基地

 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』のパート4には、憲法9条制定に関するマッカーサー側の意図について、9条と、国連憲章(特に敵国条項)およびその原案にあたるダンバートンオークス提案と沖縄基地化の関係が記されている。古関彰一氏の著書には九条は沖縄基地化とセットなのだという趣旨のことは述べられていたが、国連憲章ダンバートンオークス提案との関連には触れていない。この点、本書に教えられることは多い。

 私が調べた限りでは、憲法9条の戦争放棄条項の発案者は幣原喜重郎首相と考えるのが正しい。幣原はもともと(当時は軟弱外交とののしられた)平和外交の旗手であり、パリ不戦条約制定にあたって実務にあたった人だった。戦後、連合国の中には天皇を処罰し、天皇制を廃止すべきだという強い主張があったが、幣原は天皇を守りたいと考えた。そこで天皇軍国主義のシンボルとは二度となりえないことを、憲法戦争放棄条項を入れることによって連合国に示そうと考えた。他方、マッカーサーは事前の調査とGHQの実際の働きを通して、天皇を抜きにして日本を平和裏に統治することは不可能と考えていたから、やはり、連合国の極東委員会が開かれる前に、天皇を守る憲法を作りたいと望んでいた。いわゆるペニシリン会談において、両者の意図は一致したのである。
 この点については下のリンクを参照されたい。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/searchdiary?word=%BF%BC%CB%C5%B1%F3%CE%B8

 さて、矢部氏は、マッカーサーが9条2項について考えた背景を明らかにしている。国連憲章の原案ダンバートンオークス提案は、国連安全保障理事会五カ国だけが世界政府として軍事力の使用権を独占し、他の加盟国はその権利をもたないというものだった。「国連軍」が世界警察をするというわけである。日本国憲法の起草原則であるマッカーサー三原則の第二点には、「日本はその防衛と保護をいまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。日本が陸海空軍を持つことは、今後も許可されることはなく、交戦権が日本軍にあたえられることもない。」とあるが、このなかの「いまや世界を動かしつつある崇高な理想」とはダンバートンオークス提案を意味していたというのが著者矢部氏の指摘である。もしダンバートンオークス提案が実行されれば、国連軍が世界秩序を維持するから、日本は戦争も軍備も放棄して問題ないというのがマッカーサーが念頭に置いていたことだったというわけだ。
 ところが、実際には、そのダンバートンオークス提案のいう「理想の国連軍」は実現しなかった。しかも、国連憲章には集団的自衛権という宗主国が属国に軍事介入することを正当化する口実としての法制という戦争の火種が取り込まれた。マッカーサーが9条第二項の前提として念頭に置いていたと思われる「崇高な理想」は夢物語に終わった。集団的自衛権は、戦後ずっと宗主国による軍事的内政干渉の口実とされ、代理戦争の火種となってきた。
 当時、在日米軍基地にかんして米国の国論は二つに割れていた。国防省は世界戦略のため日本に設置した基地を維持することを望んでいたが、他方、米国国務省は、日本から基地を引き上げ独立させなければ米国は世界から帝国主義との非難を受けると考えていた。(実際、日米安保条約調印式にあたってはインドは米国を非難して欠席した。)ところが、1947年9月中旬、昭和天皇は非武装でいることは無理だと考え、沖縄に事実上、半永久的にに米軍基地を置いてくれとアメリカに手紙を書いたので、国防省が望んでいたように、沖縄に基地が維持され、かつ、本土各地にも基地が維持されることになった。結局、昭和天皇の中では、憲法9条2項の戦力放棄・交戦権放棄は、沖縄をはじめ日本全体に米軍基地を維持することとセットであったというわけである。

 著者矢部氏の主張はおおよそ次のようなもの。<米軍基地が事実上無期限に国内にあるというのは、日本が属国状態にあることを意味している。その事実を糊塗するために、さまざまな矛盾・欺瞞が生じており、憲法が有名無実化した。隠蔽してきた米国による「憲法押し付け」が表に出てきたので、右翼が国権主義の憲法に改悪しようとし、それなりの説得力を持ってきている。決定権がGHQにあった以上、日本人の民権思想が憲法に反映しているというのは説得力に欠く。今すべきことは、米軍基地は撤収させ、憲法9条第2項については、国防のための最小限の戦力を保有すること、及び集団的自衛権は行使しないことを明記すべきだ。そして、国家を制限して人権を守るという憲法をつくるべきだ。>


 国防にかんする聖書の基準はどういうことか?ローマ書13章によれば、神が国家に託された権は、社会秩序の維持を目的とした剣の権と、富の再分配のための徴税権である。国防が位置づけられるとすれば、社会秩序の維持のための剣の権の働きの一部としてであろう。ただし、先制攻撃・侵略は「むさぼりの罪」であり悪魔的な仕業であるから、「国防」を口実に侵略をしないように、軍事力の行使についてはきわめて抑制的でなければならない。過去、「自衛」を大義名分に多くの戦争がなされてきた。