苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

田邊桂さん・・・寄り添って生きる愛

 昨日、キリ神時代、お世話になった田邊桂さんのお葬式に昨日うかがいました。享年90歳。神学生時代にお世話になり、私が信州に開拓伝道にはいって後、お姉さんの田邊滋先生といっしょに軽井沢、小諸に住まわれることになって、小海の礼拝に一度と、十一年前会堂を捧げた日においでくださいました。また、卒業生たちを食事に招いてくださったこともありました。今回のお葬式で、桂さんの経歴についてはじめて知ることが多くありました。

 桂さんの唯一の姪である方が、「おばは、戦後まもなく母を失った私をたいそう不憫に思ってくださって、当時、日本では手に入れることができなかったちょうちん袖がついたかわいい洋服を手に入れて私に贈ってくださったのです。身内の私がいうのもなんですが、おばはバタ臭い美貌と才能の持ち主でしたから、別の華やかな道を選ぼうと思えば、選ぶことができたでしょうが、そういう道を選ばなかったのです」と涙を流しながらお話されました。
 桂さんは1924年大正13年)、一男六女の6番目(?)として台北に生まれ、その後(戦後?)、堺市に家族で移住。
 戦後は英語に堪能だったことを生かして進駐軍で仕事をし、その後、貿易会社勤務。英文速記事務所を友人と立ち上げて、その責任者として活躍されました。結婚はなさらずご両親の介護をしていらっしゃいました。
 ところが1966年、桂さんは脳血栓で倒れ、二年間療養生活の後は英文速記事務所の仕事に復帰することはされず、日本基督神学校で教鞭をとる姉の滋先生のもとに転じて、滋姉に仕え、また、料理の達人だったので神学校の食堂を担当されました。神学校が国立に転じてからは、神学校事務にその事務能力を発揮されました。
 1989年 滋先生が神学校をリタイアされて後は、滋姉の世話のためにいっしょに軽井沢、小諸に移住されました。そして東御キリスト教会で礼拝の生活を送られました。その間、私も何度か交流の機会があり、上に書いたように、小海の礼拝にもお出かけくださったことがあったのです。
  
 葬式で辻浦先生は、テモテの手紙第二4章10、11節から医者ルカの話をされました。

「4:10 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。 4:11 ルカだけは私とともにおります。」

 ルカは医者であったから、尊敬も富も楽しいことも望めば得ることが出来る立場にあったけれど、病弱な使徒パウロを陰で支える医師としてずっと寄り添い、使徒が投獄されるとその獄屋にまで寄り添ったのです。美貌と特別な才能を持ちながら、老いたご両親の介護をされ、神学教師のお姉さん、神学校で食堂・事務で仕え、老後のお姉さんに仕え、神学校の食堂と事務で仕えた桂さんは、ルカに似ていると思います。・・・そういう趣旨のお話でした。説教題は「寄り添って生きる愛」。