苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

預言者と王

 13:10ユダの王ヨアシの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシはサマリヤでイスラエルの王となり、十六年世を治めた。 13:11彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムのもろもろの罪を離れず、それに歩んだ。 13:12ヨアシのその他の事績と、彼がしたすべての事およびユダの王アマジヤと戦ったその武勇は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。 13:13ヨアシは先祖たちと共に眠って、ヤラベアムがその位に座した。そしてヨアシはイスラエルの王たちと同じくサマリヤに葬られた。

 13:14さてエリシャは死ぬ病気にかかっていたが、イスラエルの王ヨアシは下ってきて彼の顔の上に涙を流し、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言った。   (中略)
13:20こうしてエリシャは死んで葬られた。(列王記下)

 エリヤの後継者エリシャの時代、北イスラエルの王はヨアシュ(ヨアシ)と言った。ややこしいことに、南ユダ王国の王も同名だった。北イスラエルのヨアシュ王がヤロブアムと同じ悪を行なったとあるのは、金の子牛崇拝を国家宗教として行っていたという意味である。
 そんなヨアシュなのだが、預言者エリシャを頼りにしていたし、エリシャもまたそういうヨアシュ王に助言をしていたということが、このエリシャの最期を記した記事からわかる。
 なんだか不思議な関係である。預言者は王に「ヤロブアムの悪から離れよ」と警告するが、王は離れようとはしない。離れようとはしないが、王はこの預言者はほんとうのことを言っているのだと知っていて、頼ってもいる。ヘロデ・アンテパスが、預言者バプテスマのヨハネに対してしたのと同じようなありさまである。神につくか、悪魔につくか、態度保留にしている中途半端な態度は、結局ほろびにいたるというのに。
 だが、そういう王と断交せずに、失望しながら、なお最期まで助言と諫言を与え続けたエリシャというのも特異な預言者だった。