苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月13日  宝の持ち腐れ

レビ記25:17

 「 25:13 このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。
25:14 もし、あなたがたが、隣人に土地を売るとか、隣人から買うとかするときは、互いに害を与えないようにしなさい。 25:15 ヨベルの後の年数にしたがって、あなたの隣人から買い、収穫年数にしたがって、相手もあなたに売らなければならない。 25:16 年数が多ければ、それに応じて、あなたはその買い値を増し、年数が少なければ、それに応じて、その買い値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは収穫の回数だからである。
25:17 あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、【主】である。」(新改訳)

「あなたがたは互に欺いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(口語訳)

「汝らたがひに相欺むくべからず汝の神を畏るべし我は汝らの神ヱホバなり」(文語訳)

「相手に損害を与えてはならない。あなたの神を畏れなさい。」新共同訳

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 50年に一度めぐってくるヨベルの年。この年が来ると、地境は先祖の地境に戻し、奉公人は解放されなければならないという定めだった。神は、聖なる国民イスラエルが、貧富の格差はなはだしく、孤児やもめ在留異国人の訴えが取り上げられない不公正な社会となることをお望みにならなかったから、このヨベルの年をお定めになった。
 ヨベルの年は、私有財産を完全否定し自由な経済活動を禁じるのではなく、ある程度自由な経済活動は認める。自由中毒経済が不公正な格差社会をもたらすことは必然であるから、それを50年ごとにリセットすべしとしていたのである。ほどほど自由な経済活動、ほどほどの私有財産権、それがヨベルの年の定めるところである。
 しかし、大土地所有者、多くの奉公人をかかえる金持ちは、せっかく得た富を失いたくはないと思うようになる。金持ちが権力者に取り入ったからか、権力者自身が金持ちであったからか、ヨベルの年が実行された形跡は旧約聖書には私の知るかぎり見られない。そして、イスラエルは貧富の格差はなはだしく不公正な社会を来たらせて、滅びてしまう。
 せっかく神がお与えになった経済原則も、神を畏れ、これを実行する人間がいなければ、宝の持ち腐れ。