苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」の誤解

 ときどき、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」という明治憲法の第三条をもって、明治憲法天皇を現人神としていたとんでもなく前近代的憲法であるという誤解をしている人がいる。
 この文言は、本当は、「君臨すれども統治せず」を原則とする近代立憲君主制における君主の無答責を定める決まり文句にすぎない。立憲君主制においては君主は政治的実権をもたないので、責任も取らないという意味である。また逆に君主は責任を取れないのだから、政治権力を行使してはならないという意味といってもよい。
 立憲君主制のもとに自由主義的議会制民主政治を行っているお手本とされているベルギー憲法にも、次のように国王の無答責が定められている。
「第63条 国王の一身は、侵すことができない。国王の大臣が責任を負う」(岩波文庫『世界憲法集』)

 といって、筆者は明治憲法前近代的でないと言おうとしているわけではない。確かに、たとえば、信教の自由条項28条に「国家ノ安寧秩序ヲサマタゲザルカギリニオイテ」という留保をつけたところなどは、前近代的なのである。
 だが、少なくとも第三条は現人神についての規定ではない。もし憲法に神話的な規定をさがすならば、それはむしろ第一条の「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」であろう。

<追記>
 法律を学んでいる方から教えてもらったのですが、大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」は、もともと天皇の無答責を意味する文言でしかなかったものが、国家神道が台頭してくるなかで、(素人の誤解によってか玄人の意図的欺きによってか知りませんが)、現人神天皇を意味する文言とする誤読がひろがったということです。このことは、吉田善明『日本国憲法論第三版』30ページにさらりと書かれています。「天皇の不可侵(明治憲法三条)規定もたんなる立憲主義的な君主無答責の原理異常に濫用されるにいたった。」と。明治憲法第3条が天皇の神格化を意味するとする誤解は、左右の立場を問わず、現代でも結構ひろく見られます。たとえば、藤原彰、吉田裕『天皇の昭和史』27,28頁、日本文教出版の中学歴史教科書。