苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

群衆とは?

 スポンサーである経団連が後押しするTPPに向かって、東京新聞中日新聞)以外の大新聞は調子をあわせてイケイケ報道をしてきた。手遅れ気味になった最近になってようやく、少し警戒感を示す文章を朝日や毎日で見かけるようになった。
 戦前、国家の弾圧の下でマスメディアは大本営発表をするようになったというふうなことを聞かせられてきたが、それは真相ではないらしい。戦前、朝日新聞をはじめとする各報道機関は、国民を戦争へと煽り立て躍らせたというのが事実だという。
 だが、踊った国民はどうだったのか。戦前は、開戦反対の論調を旨とした報道をしていたある新聞は、開戦したとたんにまったく売れなくなって、社運が傾いたという。やむなく、その新聞は論調を「敵米英を撃滅せよ」と変えたのだと、以前、田原総一郎氏の文章で読んだことがある。
 いざ戦争になったときの国民の熱狂は、ワールドカップ大会のときの国民の熱狂状態と似通っている。ワールドカップの最中に、「サッカーよりも、もっと大事なことがある。」とさめたことを書く新聞があれば、発行部数は激減するだろう。つまり群衆が紙面をつくっているのである。そして「群衆」はだれひとり、責任を自覚しない。
 「群衆」とはなんなのだろうと、イエス様を十字架につけた群衆のことを思いながら考えさせられる。

15:8 それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
15:9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言った。
15:10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
15:12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。
15:13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。
15:14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだ。
15:15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
                     マルコ福音書15:8−15