苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神は神

神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。 
               出エジプト2:24,25


今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。
                出エジプト6:5

 神がご自身がイスラエルに与えた契約を思い起こされて、エジプト脱出という出来事が始まろうとしていた。救いは神の、ご自身の契約に対する真実から始まる。
 「思い起こした(ザカール)」ということばを見ると、神は忘れておられたのか?と問いたくなる。そして神学者は、神を弁護するためだろう、これは人としての視点からの表現であり、人がわかることばで書かれたのだというふうな説明をする。そうなのかもしれない。だが、どうして神は人間によって弁護される必要があるだろうか。神は神なのだ。
 人としては、忘れていらっしゃるように見える神に向かって嘆き叫ぶほかない。

 寒くて雪が消えません。主の日が近いので、今日は、広い駐車場の雪かきです。