苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いと優しき王として

マタイ2:1−12
2012年7月29日 小海主日礼拝



 今年も庭のムグンファ(無窮花ムクゲ)が白い花をつけ始めました。日本の救霊を志しつつ天に召された神学生を思い出し、自分自身の伝道者としての原点を点検させられます。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20100728/p1




序.救いの歴史の中で
 預言者ミカが告げた「ユダヤの地、ベツレヘム」、それはダビデの町と呼ばれた町でした。ダビデの父エッサイは、「ベツレヘム人」で(1サムエル16:1)、ダビデはこのベツレヘムに生まれ育ちました。イエス様は先祖ダビデの町で生まれたのです。神様のご計画というべきか興味深いことに、ベツレヘムとは「パンの家」という意味の名前です。ベートは家、レヘムはパンです。神様が、このベツレヘムを人類のいのちのパンであるイエス・キリスト誕生の地としてお選びになったことです。
 ルカ伝ではイエス様の誕生の夜、名もない羊飼いたちがそのお祝いに駆けつけたという記事があります。マタイ伝のほうは、それからおそらく1〜2年後、東方からやって来た異邦人の博士たちが、イエス様を礼拝しにやって来たという記録を残しています。

1 ヘロデ大王の恐怖

 はるばる砂漠を越え、大川を越えて東方からやってきた博士たちは、ユダヤ人の王としてお生まれになった方をさがしてエルサレムにやってきました。彼らが、最初にやってきたのは王宮でした。ユダヤ人の王が生まれたというのですから、王様の宮殿に、その王の後継者として、生まれたのだろうと考えたのです。ところが、この宮殿にメシヤはお生まれになっていませんでした。
 当時、王座を占めていたのはヘロデ大王でした。ヘロデ大王は、イドマヤ人であり、イドマヤ人とはヤコブの兄エサウの子孫たちです。ヤコブからイスラエル民族が出て、エサウからイドマヤ人が出たというわけで、この二つの民族は遠い親戚関係にありましたが、決して仲の良い親戚ではなく近親憎悪といった関係だったのです。ご存知のようにヤコブエサウ以来、仲が悪かったですし、特に、紀元前6世紀にエルサレムがバビロンに滅ぼされるときには、エドム人たちはバビロン軍に手を貸したので、恨み深かったのです(詩篇137:7)。
ローマ帝国はそういうイドマヤ家のヘロデをうまく利用して、イスラエルを支配させました。ユダヤ人を傀儡政権の王として立てたならば、もしかするとその王が愛国心に目覚めてローマからの独立をしようとするかもしれません。(戦後の日本にも時折現れた、対米自主路線の政治家のように。あるいはパナマのノリエガ将軍のように。)といって、ユダヤ人の民族性を知らないローマ総督のみが面に立って直接統治するだけならば、ユダヤ人のローマに対する反感が強くなることは目に見えています。イドマヤ人であれば、ユダヤ人の習性をよく知っており、しかもユダヤ人とは仲が悪いので、彼らと仲良くなりすぎて独立を企てることもないであろうと見たわけです。ローマ帝国の属州支配というのは、このように非常に巧妙なものでした。(こうした手法は後々のイギリスをはじめとする帝国主義諸国の世界各地の植民地支配に応用されました。)
 ヘロデ大王は、自分がユダヤ人たちに憎まれていることをよく知っていましたから、一方では巨大な神殿を造ってやって彼らのご機嫌をとりつつ自分の力を誇示する一方、権力をもって脅しつけていたわけです。しかし、そういう強権的な権力者にありがちなことですが、自分がいつ寝首をかかれるかということをいつも恐れていなければならなかったのです。臆病者ほど、人を脅すようなことをするものです。
 晩年のヘロデは権力の亡者と成り果てていました。ヘロデには政略結婚を繰り返して得た10人の妻と15人の子どもがいましたが、そうした妻の中に唯一、本当に愛したのはマリアンメのみでした。ところが、ある日ヘロデはマリアンメに関する中傷を聞くのです。そして、ヘロデはマリアンメを処刑してしまいます。後に、その中傷が嘘であったことを知ったヘロデ大王はたいへん後悔して、マリアンメの二人の遺児を溺愛します。しかし、この二人の王子についても、ある日ヘロデは讒言を聞きます。「あの二人の王子は王様のいのちと玉座をねらっていらっしゃいます」と。ヘロデは、この二人の実の息子も処刑してしまうのです。そして、その処刑後5日目、ヘロデは国民からも近親からも恐怖の的となり、猜疑心と病の激痛のなかで惨めに死ぬのです。78歳でした。紀元前4年のことです。イエス様はこのヘロデ大王の最晩年にベツレヘムにお生まれになりました。ずいぶん危険なとき、危険な場所にイエス様はお生まれになったわけです。

2.祭司長と学者たち

 エルサレムの人々は、東の博士たちがやって来て、イスラエルの王となるべきお方、メシヤがユダヤのどこかで生まれたという知らせを聞いて恐れました。メシヤの到来は本来喜ばしいことですが。それは、ヘロデ大王が必ずや血の雨を降らせることになると察したからです。実際、このあとこの地域の2歳以下のいたいけな子どもたちが、ヘロデがベツレヘムとその周辺に遣わした残忍な兵士どもの剣の犠牲となりました。
 ヘロデ大王は、博士たちからメシヤ到来の知らせを聞いて、そのメシヤとやらはどこに生まれたのかと考えました。無論、芽を小さいうちに摘んでしまうためです。すぐに彼ら旧約聖書に精通している専門家、祭司長・学者たちに問い合わせました。
 彼らはたちどころに、ヘロデ大王の質問に答えます。

2:5「ユダヤベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから。』」

 見事な答えです。けれども、この祭司長・学者たちはいったい何を考えているのだろうと思います。彼らは確かに生き字引、生き聖書事典です。メシヤの誕生の地と問われれば、即座に「それは預言者ミカが預言しています。」と答えられるのです。
 無論、彼らは、ヘロデ大王が彼らにメシヤはどこにいるのかと問い合わせる目的を知っていたはずです。彼らにわからぬわけはありません。大王が生まれたばかりのメシヤを殺してしまおうと考えていたことはあきらかでした。でも、この祭司長・学者たちは、旧約の預言者ミカの預言を引用して、「それはユダヤベツレヘムです」さらりと答えてしまいました。ふつう、イスラエルの希望であるメシヤを待望している信仰者であれば、そのメシヤを憎み殺そうとしているヘロデ大王に、むざむざメシヤ誕生の地を告げるでしょうか?
 この祭司長たち、学者たちは、イスラエルの国がローマ帝国の属州とされ、傀儡政権としてヘロデ王朝が立てられていることに不満を抱きながらも、同時に、この安定した対ローマ追従体制のなかで特権的地位を保って既得権にあずかっている人々でした。ここにローマ帝国からの独立を唱えるようなメシヤが来て国がごちゃごちゃになっては面倒だということだったのでしょう。特に、当時のメシヤのイメージは政治的軍事的なものだったと言われていますから。
 イエス様が長じて、公生涯に入っていったとき、やはり祭司長・律法学者たちがイエス様に立ちはだかり、ついには捕まえて、異邦人のローマの裁判に渡してしまうのです。彼らは権威者として旧約の律法を民に教え、メシヤの約束も教えていたはずです。けれども、実際に神の御子であるメシヤが来られるとなると、今自分がもっている安定的な立場を失いたくなくて、メシヤを抹殺してしまいたいということでした。そういう意味で、祭司長や学者たちはローマの傀儡であるイドマヤ人ヘロデ大王を軽蔑しながらも、同じ穴の狢だったわけです。

 人生にイエス様を受け入れるに際して、彼らの抱いたのと同じような恐れに捕らわれる人がいます。今までの生活や人間関係に満足はしていないけれど、とりあえず安定した状態でいたい。イエス様を信じ洗礼を受けたら、そういう状態が壊れてしまうかもしれないと躊躇するのです。けれども、イエス様は、そういう人々に対しては、「わたしが平和をもたらすために来たと思ってはいけない。わたしは火のなかに剣を投げ込むために来たのです」と激しいことばを吐かれます。キリストにある本物の平安を得るために、ひとたびは主の前にいつわりの平安を断念しなければならないということもあるのです。

3 東方の博士たちの喜び

☆キリストを見出した喜び
 さて、一方、東方の博士たちです。「東方」というのは、イラクペルシャ、インド、そしてもしかしたら中国といった文明圏を意味しているのでしょう。いずれにせよ異邦人たちです。皮肉なことですが、旧約聖書を与えられメシヤを待ち望んで来たユダヤ人たち、格別、祭司長・律法学者はメシヤを礼拝には行かず、かえって大王に殺させようとし、神の民でない異邦人がメシヤを礼拝に行ったのでした。
なぜ東方の博士たちはメシヤ、ユダヤ人の王の誕生を知ったのでしょうか。おそらくは、当時、ヘレニズム世界はインドの北にまで広がっていて、ユダヤ人たちは捕囚の目に遭ってあちこちに散らされ旧約聖書が広がっていましたから、聖書の預言と星の出現からメシヤの誕生を知ったのではないかと思います。

2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 彼らは旧約の預言を研究していたのでしょうし、不思議な星にも導かれたのですが、エルサレムの学者たちほどの聖書の専門家ではありません。そこで、メシヤの生まれた場所を特定するまでの知識がありませんでしたから質問をしたのです。そうしたら、ベツレヘムであるという答えを得ました。エルサレムの南に10キロメートルほどのところにある町です。
 博士たちにはヘロデ大王が、それほど悪逆非道な王であるとは知らず、王の意図はわからなかったので、星の出現の時間を聞きだされてしまいます。その答えを聞いてヘロデは、メシヤは二歳ほどになっている可能性もあると考えたようです。そして心にもないことを言いました。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
 博士たちはベツレヘムを目指して出かけました。東方で見たあの超自然的な星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、なんの変哲もない小さな家の上にとどまったのでした。もちろん宮殿ではありません。けれども、間違いなく、その家の上にあの不思議な星はとどまって輝いたのです。

2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

これは保身をはかって、メシヤ到来を恐れていた、ヘロデ大王や祭司長・学者たちと対照的です。古代世界における旅は今日とちがって命がけです。家族にも別れを告げ、博士たちはキリストをさがし求めて砂漠を越える旅をしてきて、ついにメシヤがいるベツレヘムのひとつの家の前に来ました。博士たちはこの上もない喜びに満たされたのでした。キリストに会えるという喜びと感謝に、彼らは喜び踊ったのです。
 
☆ キリストにささげる喜び
博士たちは、その家の扉をたたき家に入れてもらい、母マリヤとともにいる幼子を見て、そこにひれ伏し礼拝をささげました。さまざまな危険を乗り越えて、ようやく出会うことのできたイエス・キリスト様でしたから、感激はひとしおでした。ひれ伏した彼らの目からポタポタと涙が落ちて床をぬらしました。そうして、それぞれに用意して来た宝物をイエス様のまえにささげたのでした。

2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

  三つの宝物の意義にきょうは深く立ち入りません。ただ彼らはささげる喜びをここで知ることになったのでした。私は教会に来て不思議だなあと思ったことの一つは、このささげるということについてです。教会に来て週報に「献金感謝」ということばを見つけました。説教が終わると応答の賛美をして、献金をして、誰かが代表してお祈りをするのです。そうして日常の感謝、礼拝に招かれたことの感謝、メッセージの感謝、イエス様の十字架による救いの感謝を表わしてささげものをします。
 今日もみことばのうちにご臨在くださるイエス・キリスト様との出会いを経験するとき、私たちは東の博士たちのように、喜びと感謝から自らをささげないではいられないのですね。キリストと出会って新しいいのちを得たならば、私たちは内側から感謝と喜びがあふれて、自分を主にささげないではいられないものとなるのです。

結び
さて、今日のみことばから主イエス様はどのようなお方であると告げているでしょうか。
ひとつは、イエス様は王として私たちの人生を訪れるのだということです。ということは、イエス様をお迎えした私たちは、私たちの人生の王座をイエス様に明け渡さなければならないということを意味しています。仕事においてであれ家庭においてであれ趣味においてであれ、イエス様をあなたの王となっていただくのです。食べるにも飲むにも何をするにも、ただイエス様の栄光のために、です。何をしていても、「私の王であるイエス様、しもべを用いてあなたのみこころをなさせてください」と祈りましょう。

 ですが、イエス様はヘロデのような暴君として、あなたの人生に踏み込まれるわけではありません。イエス様は、エルサレムの宮廷ではなくベツレヘムの小さなうちに、幼子としてへりくだったお姿で来られました。イエス様は、おっしゃいます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28−30)

 「わたしのくびきを負ってわたしについていらっしゃい」とイエス様はあなたをも招いていてくださるのです。おののく必要はありません。怖がる必要はありません。主イエス様に自分をささげて従うならば、あなたの心にもこの上ない喜びと平安が訪れます。



Matthew2:1-12
As a Gentle King

When the magi from the east came, King Herod was disturbed and afraid. He made much effort to get the throne and keep it. He killed even his beloved wife and children when he heard of the rumor that they had a plan to deprive him of the throne. So the message that a future king of Judea had been born made him scared . The people in Jerusalem were afraid because Herod might do something cruel again.

The king asked the chief priests and teacher of the law where the Christ was to be born. They answered Bethlehem by quoting Micah’s prophesy. Why they answered it though they knew that the king had a cruel plan? Because they did not hope for the Christ. Of course they taught the scriptures and the promise of the coming messiah but they did not want the messiah to come, because they were getting the privilege under the rule of the king Herod, the puppet of the Roman Empire. They did not want to lose the deceit peace and privilege.

The magi came here from so far away. They wanted nothing but worshipping the Christ the savior and they gave their treasures and God gave them the blessed joy.
If you accept Jesus as your king, you should surrender him everything of your life. Let Jesus be a king in every field in your life. Do not be afraid because Jesus Christ will rule you with supreme wisdom, power and gentleness.