苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「見失せ」は「身失せ」

 今度の主の日から受難週となる。おととい新聖歌を歌っていて気になったところがあった。以前、「さとる」氏から教えていただいた新聖歌の歌詞の漢字のあてかたの間違いである。

新聖歌42番の1節。
「ほむべきかな 罪人なる
 わがため主は 見失せたり」

の「見失せたり」はまちがいです。私のために主は見失われたのではなく、亡くなられたのですから、漢字をあてるなら「身失せたり」です。

 同様に、49番5節も
「懐かしくも見失せし主は
 まもなく再び来り給わん」

は「見失せし主は」でなく、「身失せし主は」です。

新聖歌399番の1節と2節にも
「十字架に見失せし主のためなり」

とあるのは間違い。「十字架に身失せし主のためなり」が正しい。
 344番にも同じ間違いがる。

なおも御恵みを なおも御救いを
なおもわがために 見失せし主を知らん

漢字で書くなら「身失せし主を知らん」が正しい。


その他、新聖歌の改訂すべき点についてのメモは、下のアドレスにあります。讃美歌集も限界のある人間がつくるものですから、まちがいが紛れ込むのはやむをえないことです。まちがうことはやむをえませんが、そのままに放置していてはいけません。次の印刷のときに直してほしいですね。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090927/p1