小川圭治先生の訃報に触れた。先生の主著は『主体と超越−キルケゴールからバルトへ−』だった。学部の三年生、四年生の時代に、キルケゴールの『哲学的断片』のゼミと、パウル・ティリッヒの組織神学の啓示論のゼミに出させていただいた記憶がある。卒論はパスカルで書いたのだが、主査を飯塚勝久先生、副査を小川先生にしていただいた。
小川先生はバルティアンであったから、啓示論、聖書論にかんして、福音派の教会に通う筆者とは立場がちがっていて、その点では厳しい議論をせざるを得ないところがあった。筆者は、当時、F.シェーファーを読んで、聖書における神の命題的な啓示がいかに重要であるかということを確信していて、バルトについてはシェーファー的な色眼鏡からの偏見を抱いており、小川先生は小川先生でメインラインの神学者にありがちな、福音派の聖書観は「紙の教皇」ではないかという偏見を残念ながらもっていらしたので、この点についてはさして有益な議論はできなかったように思う。
筆者が小川先生から学びえたことは、キルケゴールにおける、神に対する主体的・実存的な態度である。「実存的とはどういうことですか?」という筆者の質問に対して、小川先生は「それは、いのちがけということです。真理を知ったなら、その真理にいのちをかけて行く。それが実存的ということです。自分のいのちを賭ける覚悟のないような真理など、なんの意味もありません。」とお答えになった。神を知るということは、そういうことであり、聖書に向かうということはそういうことなのだと学んだ。聖書を読んでも、そのことばに命をかけて生きようとしないなら、無意味である。
小川先生の講義のなかで印象深いものとして残っているのは、文学作品を、神学的哲学的観点から読み解いたものだった。扱われたのは、ドストエフスキー、漱石、芥川たちであったと記憶するが、もともと国文畑にいた筆者にとっては、特に漱石についての講義が印象深かった。
漱石『こころ』をとり上げられたなかで、「良心主義の自己矛盾」ということを話された。作中の「先生」という人物は、子どもの頃から己の良心に忠実に生きたいと思っていた。が、父親を早く失って信頼していた伯父から、財産をめぐってひどい裏切りを経験した。そういう伯父を軽蔑し「あんな人間にはなるまい」と心に念じるようにして生きてきたつもりだったが、帝大の学生であったとき、下宿の娘をめぐって親友Kを裏切って、その結果、Kを死にいたらしめてしまう。己が良心を自分の支えとして高潔な生き方を志していながら、いざというときお金、恋がからむとき、自分は、あの伯父と同じような卑劣な本性を露わしてしまった、というところに「先生」の苦悩があった。そして、明治帝が死ぬとき「先生」は自殺した。良心主義で生きようとしているのに、その良心主義は破綻せざるをえないどうしようもない闇が心の底にある人間の悲惨である。
当時、高校の現代文教科書には『こころ』が載っており、授業にもとり上げられ、国語教師からいろいろ教わったり、友人たちと議論もしたけれど、作品の本質に切り込むような授業ではなかった。それが、小川先生の「良心主義の自己矛盾」ということばを聞いて、明確に漱石の抱えていた問題の深刻さがわかった。・・・それは素朴なかたちではあったが、筆者自身が高校三年生の秋に祖母の死を通して痛ましくも経験したことだった。
良心主義の自己矛盾を解決するのは、良心自身、主体自身ではありえない。超越が、すなわちキリストにある神の恵みがその解決である。漱石はそれを拒んだまま「今死んじゃあ困る。今死んじゃあ困る。」と言いながら、死んでいった。ちっぽけな道端の石ころにすぎないような私は、キリストの十字架の贖いによって、あの矛盾から救われて今、恵みのうちに生かされている不思議を思う。
大学を卒業してから、小川先生とは特別な交流もないままに過ごして来たのだが、三年ほど前に、佐久に住まわれる武田武長先生と知り合いになり、昨年は宮村武夫先生と武田先生宅をお訪ねした折に、武田先生と小川先生が親しい間柄でいらっしゃるということを知った。近々小川先生と再会することもあるだろうかと淡い期待を持っていたのだが、この二月になって先生の訃報にふれることになろうとは。