苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

解釈原理としての<類似性と区別性>

 <統一性と多様性が重要>という概念は、大学時代にパスカルの『パンセ』を学んでいる中で見つけ出したことだった。彼はある断章で、その根拠は三位一体の神にあることを暗示的に書いている。 神学校に進んで、渡邉公平先生とその弟子にあたる宮村武夫先生と清水武夫先生の出会いがあり、「三位一体的思考」ということを教えられた。それは、物事を見るときに、類似性と区別性の両方をしっかりと把握することが正しい認識の基本であるということである。類似性のみを見てはいけないし、区別性のみを見るのもいけない、類似性と区別性の双方を見ることが肝心である。それを「三位一体的思考」と呼ぶのは、父と子と聖霊の三位一体の神において、父と子と聖霊は力と栄光とを等しくするお方でありつつ、位格としての区別性があるというところから来ている。 パスカルを通じて見出した<統一性と多様性>は、存在のありようについての表現であるが、それを認識原理として表現したのが<類似性と区別性>であると言える。
 ひとつの例として、渡邉公平師「宗教と歴史問題の解釈者 : 実存主義的神学の方法論を前にして」を挙げておこう。これは、<類似性と区別性>を聖書解釈に適用した見事な例である。簡単にその趣旨を説明してみる。聖書を解釈するにあたって歴史の文脈における類似性を無視して、ただ啓示性にのみ注目してそれを解釈しようとする聖書崇拝者は、啓示と歴史の類似性を無視して区別性しか見ようとしないという過ちに陥ってしまう。他方、実存主義神学は啓示と歴史の類似性のみを見て、両者の区別性を無視するところに過ちがある。正しい聖書解釈は、啓示と歴史の類似性と区別性の双方をわきまえるところに可能になる。(神を愛するための神学講座Ⅱ 未決定稿 の神論―創造論  の加筆部分)