苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

アブラハムの生涯1  旅立ち 

その後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。
創世記12章1-3節



    (ウルのジグラッドkoshigaya.s375.xrea.com)

 聖書を開いたことのない人も、アブラハムという名は聞いたことがあるだろう。米国史上最も偉大な大統領の名がアブラハム・リンカンだった。紀元前二千年中近東に現われたアブラハムという名は、民族と時代を超えてこのように偉大な名となった。ユダヤ教徒にとっても、イスラム教徒にとっても、キリスト教徒にとっても、アブラハムの名は偉大な名である。これは神の約束の成就だった。もっともこの人物の元の名はアブラムといって、後にアブラハムという名を神からいただくことになる。
 アブラハムイスラエル民族の始祖となり、アラブ人たちも自らの先祖をアブラハムの息子イシュマエルだという。そして、世界のキリスト教徒は民族を超えて彼を「信仰の父」と呼ぶ。今回から、このアブラハムの生涯をご紹介して行きたい。ただし、小説風に筆者の想像を交えて書いてゆくのであって、講解説教ではないので、そのつもりで読んでいただきたい。

 アブラムがこの世に生を享けたのは、紀元前二千年、大河ユーフラテスのペルシャ湾への注ぎ口にあったウルでのことだった。現在のウルはいくらか内陸に入っているが、当時はペルシャ湾に面する海港都市であった。二十世紀初頭の考古学者の発掘によれば、当時ウルは店舗、家屋、図書館、学校も備えた都市であった。背後はチグリス・ユーフラテス両大河に潤される肥沃な農地に恵まれていたので、大麦、小麦、亜麻、なつめやし、ざくろ、ぶどうなどが育った。この地でアブラムとその父は相当の資産家として成功を収めていた。
 経済的に栄えるこのウルの町は、しかし霊的には暗黒に閉ざされていた。城壁に囲まれた町の中心にそびえる階段状ピラミッド、ジグラッドの頂には月の神々を祀る神殿があり、そこでは神々の像の前で神殿娼婦や男娼たちが豊作祈願と称してみだらな儀式を行ない、人身犠牲も捧げられていたのである。

そんな町にありながら、ノアからセムへと受け継がれた創造主への信仰は、細々とアブラムの家にだけ受け継がれてきていた。ある日、アブラムの父テラが神の導きを受け志を抱いて一族を率いて旅立った。けれども、チグリス・ユーフラテス両河の源流地カランまで来ると、なぜか父テラはこの地に落ち着いてしまう。そして、父はここで生涯を閉じる。カランの地にも栄えた都市国家があって、居心地がよかったからかもしれない。
 父がカランで果てた時、アブラムはすでに七十五歳。すでに功成り名を遂げた年齢である。だが、アブラハムの生涯百七十五年との比較で言えば、今の年齢に換算すれば三十五歳ほどと計算する人もいる。いずれにせよ、ある日、彼の耳に神の声が響いた。それが冒頭に記したことばである。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」
 耳と言っても「心の耳」である。ほかの人に聞こえたわけではない。それは言わば鼓膜の内側から響く声なのだった。最初は気のせいだろうとアブラムも思った。しかし、いくら否定してみても、その声ははっきりとアブラムに対して命じるのであった。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」
 アブラムがこのことばを聞いたのはカランであるのに、「生まれ故郷を出て」といわれたのは、ペルシャ湾岸からカランあたりまでのメソポタミア全体が一つの地域とされ、アブラムの故郷と認識されていたからだと思われる。ともかく、あのことばは単に地上の旅立ちを命じることばではなかった。それはアブラムに古い生き方から、新たなる生き方への旅立ちを命じる神のことばであった。「アブラムよ。今まであなたは、あなたの親兄弟、親戚、隣人といった人々の中で守られ、あるいは彼らの顔色をうかがって生きてきた。おまえは家のために生きてきた。しかし、これからは万物の創造主であるわたしに従って生きるのだ」と。
 三浦綾子さんのエッセー集に次のような趣旨のことが書かれていたと記憶する。他者中心の人生は卑屈なものになってしまう。さりとて、自己中心の利己的人生は醜悪なものとなってしまう。人はただ神を中心に生きるとき、美しい人生を送ることができる。人の顔色をうかがい、ただ波風が立たなければよいと思って、ひたすら自分を押し殺して生きていると、後の日に「いったい自分の人生ってなんだったんだろう。」ということになってしまうだろう。また、逆に、「私の人生は、私のものだ。どんな生き方をしようと私の自由だ。誰にも文句は言わせない。」というような生き方は、まったく醜いものである。
 七十五歳にもなるアブラムが、神のことばに従って旅立ちの決断をしたとき、おそらく周囲の人々は、まず驚き呆れたに違いない。ある人々は「アブラムじいさん、とうとう神に熱心になりすぎて気が狂っちまったぜ。」とあざけったりしたことであろう。もっとアブラムに身近な人々は、さしずめ「殿!ご乱心あそばせられましたか?」と反応しただろう。彼には一声かければ動く男たちが三百人ほどいたから、男たちの家族まで合わせれば、アブラムの決断の影響を受けなければならない一族郎党は総勢二千人ほどもいた。彼の立場は、いわば中堅企業の社長さんのようなものだった。アブラムの決断はおそらく周囲の人々には「なんと自分勝手な!」と映ったのである。
 けれども、アブラムの旅立ちは、一見自己中心に見えたが、実は、神中心の人生への旅立ちであった。だから、当面は多くの人々を当惑させることになったが、長い目で見ると、彼の一族ばかりか、世界のあらゆる民族に対して神の祝福をもたらす結果を生んでいくことになる。
二千年後、アブラムの家系にイエス・キリストが誕生し、その後さらに二千年間、イエスの福音が宣べ伝えられて世界中の数え切れない人々が、イエス・キリストとの出会いを通して、絶望から希望へ、死からいのちへ、闇から光へとその人生を移していただいたのである。
 アブラムの信仰の旅立ちへの祝福の約束は、みごとに成就した。
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
 人生には時に旅立ちがある。その旅立ちを万物の主に導かれて決断できる人は幸いである。


National Geographics NewsAugust 13, 2008 ウルの再建された遺跡