苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

創造からバベルまで・・・XXIV 契約(その1)

1 虹―平和の契約のしるし

 先日、雨上がりの佐久平の空に大きな虹を見ました。虹を見るたび「神様は平和の契約を結んでくださったんだ。」と特別な感慨を抱くことができるのは、聖書を知る人の特権です。「さらに神は仰せられた。『わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。』」(創世記9:12,13)キーワードは「契約」です。神は、アダム、ノア、アブラハムモーセダビデと契約を結ばれ、これらはすべてキリストにあって成就することになります。聖書全体の理解の鍵であるこの契約について、何度かに分けて書きたいと思います。
さて、そうした神の契約のなかで人間だけでなく、全被造物を相手に契約を結ばれたと言われていることがノア契約の特徴です。動物たちと1年余の旅をした直後のことですから、ノアは「人間と被造物は運命共同体だ」ということを深く認識していたに違いありません。環境破壊のはなはだしい現代、特に注目にすべきことでしょう。三年前の環境白書によれば、絶滅危惧種は3155種に上ります。たとえば南アフリカケープタウン付近に棲息するケープペンギンの数は、20世紀初頭の実に3パーセント以下にまで激減しています。その原因はおもに餌となる魚の激減だそうです。魚の激減は、地球温暖化による海水温の上昇であり、地球温暖化のおもな原因は、人間活動であると言われます。二酸化炭素原因説は怪しいようですが。このように、絶滅危惧種のほとんどの原因は人間です。神の前での人類の責任は大きいといわねばなりません。神は人を被造物のかしらとして立てて、この世界の管理を委ねていらっしゃるからです。また、人間と被造物が運命共同体なのですから、多くの生物たちが絶滅に瀕しているということは、人間自身も生きることが困難な環境になりつつあることに気付くべきです。
 ところで、なぜ虹が平和の契約のしるしなのか。ヘブル語で虹とはケシェトといい、これは弓と同語です。ちょうど英語で弓のことをボウと言い、虹のことをレインボウつまり「雨弓」というのと似ています。戦いが終わって、弓は横にされて壁に架けられるというイメージが、虹なのでしょう。空に架かる虹は、神が怒りを収めてくださった平和の契約のしるしであるというわけです。
ところが、せっかく神が人間に対して平和をくださったのに、人間は欲にまみれた文明でもって運命共同体である被造物を攻撃し続けています。古代メソポタミア文明以来の人類の歴史を具体的に見てわかることは、被造物を破壊してきたのは、経済第一主義(マモニズム)とそれに伴う戦争です。古代メソポタミアの灌漑農法は大地に塩害をもたらして砂漠化させ、古代中国の万里の長城の建設は豊かな森をゴビ砂漠とし、中世ヨーロッパの森林破壊は農業革命によって大地を破壊し、近世の帝国主義の建艦競争も森を破壊しました。そして産業革命以後の急激な世界経済の成長は世界中に環境破壊をもたらしてきました。「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです」(ローマ8:19)。被造物の完全な救いは再臨を待たねばなりませんが、今も私たちは、被造物に対する管理責任があります。「みこころの天に成るごとく、地にもなさせたまえ。」と祈っている者として、私たちはその祈りにふさわしい生活をしたいものです。

2 創造の契約

「契約ベリート」という用語が聖書に登場するのは、ノアの契約が最初ですが、契約自体は、創造の時が最初です。それは、神がアダムに「地を耕し守る」ことを趣旨として被造物の管理を任されたときに結ばれた創造の契約です。 「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16,17)
 アダムは、契約のしるしである善悪の知識の木を見るたび、神の主権の前にへりくだり、感謝すべきでした。また、神を畏れつつ被造物を管理すべきでした。そうすれば神はアダムと被造世界をさらなる栄光のうちに導かれたでしょうが、アダムはこの契約を破ってしまいます。それでアダムと人類は霊的死と、肉体的死を経験することになり、被造物にも呪いの束縛が与えられました。神はアダムに「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」とおっしゃったのです。
 以来、人は、最後の敵である死に対して恐怖をいだきながら生きることになります。そしてアダムの罪は子孫に受け継がれ、人類は罪にまみれて行き、ついにノアの時代に大洪水によって一度は滅ぼされてしまいました。

3 「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる。」・・・首尾一貫する主題

 さて、ノアの大洪水の後、ふたたび増えた人類はバベルの事件で世界に散らされ、諸国ができてきます。10章には「諸国民の表」と呼ばれるセム、ハム、ヤペテから出てくる諸民族の系図があります。この後、神はごく大雑把にいえば紀元前約2000年にアブラハム、約1500年にモーセ、約1000年ダビデにそれぞれ契約を与えました。
主は、アブラハムには「わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」(創世記17:7)とおっしゃいました。
モーセには「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。」(出エジプト6:7)と語られました。
ダビデには「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」(2サムエル7:14)と約束されました。
三つの契約に一貫する主題があります。それは「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる。」です。この主題が、少しずつ言い回しは変えていますが、三つの契約に共通している内容です。
「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」という主題が意味していることは、ほんらい、神様の作品として造られた人間が、神に背を向けてみなしごのようになっている。そして、生きる力も生きる目的も生きる喜びも失っている。そこで、改めて神様が、人間の神となってくださるのだ、神様があなたとともにいるという状態に回復してくださるのだということです。インマヌエルということです。
かつてのエデンの園とは、神が人とともにいてくださった場所でした。私たちがイエス様を信じて救われたということは、神なき人生から、神とともにある人生に移されたということを意味します。また、将来わたしたちに用意されている御国とは、どういうところであるかといえば、神が私たちとともにいてくださる所なのです。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3,4)(つづく)