苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

創造からバベルまで・・XXII 大洪水

1 大洪水の期間と規模

 大洪水とノアの航海の期間は、ノアの生涯の600年目2月17日に始まり、601年目の2月27日ですから(8:14)、1年と10日間です。ただし当時の暦が一年365日であったか、360日であったか、はたまた別の日数であったかは不明です。
 降雨は40日間続きましたが、増水は150日間続きます(8:24)。それは、ノアの舟が浮かんでいるあたりでは雨が止んだけれども、他の地域ではなお雨が降りつづけており、また、「大いなる水の源」(7:11)からさらに水が噴出していたからでしょう。
大洪水の規模については、これをユーフラテス盆地を覆ったとする地域限定説と、地球全体を覆ったのだとする地球規模説があります。ハーレーが『聖書ハンドブック』(いのちのことば社)でも紹介している地域限定説は、「天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれてしまった。」(19)という記述は、当時の人々の世界観のなかでの「天の下」か、あるいは記述者の視点からの表現であるとします。たしかに、ルカ伝でも「全世界の住民登録をせよという勅令が皇帝アウグストから出た」とありますが、その「全世界」はローマ帝国全土を意味するにすぎませんから、同じように創世記で「天の下」というのが当時の世界観における世界を意味すると解釈することは、無理な解釈ではありません。
 実際にノアの視点から見えたのはせいぜい箱舟の周囲百キロ程度にすぎなかったでしょうから、地球上のすべての山々がおおわれたのを実際に見ることができたはずもありません。また、神の裁きの目的は全人類を滅ぼすことにあったので、当時、人々が住んでいた全地域を洪水が覆い尽くせば、こと足りたのだといわれればそうかなと思えます。
 しかし、地域限定説の弱点は、箱舟が漂着したアララテ山は海抜5100メートルもあることです。ユーフラテス盆地の大洪水では、たとえ大洪水にともなう地殻変動が起こる前のアララテ山が海抜300メートルの小山であったとしても頂上まで水が届きません。地域限定説の場合、アララテ山は別のごく低い丘を指していると言わねばならなくなります。
 他方、地球規模説の場合、「どの高い山々も、すべておおわれてしまった。」ということばは、神の視点からのことばであるということになります。地球規模の大洪水があったならば、当然その痕跡が全世界に残っているはずですが、地球規模説に立つH.モリスたちは、地表の多くの部分を覆うカンブリア紀から新生代に至る地層がその痕跡であると主張します。
 地球規模説に対して向けられる当然の疑問の一つは、「アララテ山までもおおったという水はいったいどこから来て、どこへ行ったのか。たとえ南極と北極の氷がすべて溶けても、海面は数メートル上昇するだけではないか。」ということです。これに対して地球規模説論者は、あの大量の水は創世記1章7節の「大空の上にある水」および、「巨大な大いなる水の源」(同7:11)という大洪水前の地下水から来たのだという仮説を提示しています。では、ひとたび地表全面をおおった水はどこに行ったのかというと、洪水前には地表は全体として平坦で深い海もなかったから水は全地表を覆うことができた。だが大洪水には大地殻変動が伴い、山々が高くなり、海は深くなったので、かつて全地表を覆った水は深くなった海に集ったのだと説明しています。そして、聖書のことばとしては、次の詩篇のことばを引用します。
「104:5 また地をその基の上に据えられました。
 地はそれゆえ、とこしえにゆるぎません。
104:6 あなたは、深い水を衣のようにして、
 地をおおわれました。
 水は、山々の上にとどまっていました。
104:7 水は、あなたに叱られて逃げ、
 あなたの雷の声で急ぎ去りました。
104:8 山は上がり、谷は沈みました。
 あなたが定めたその場所へと。
104:9 あなたは境を定め、
 水がそれを越えないようにされました。
 水が再び地をおおうことのないようにされました。」(詩篇104:5-9)
地質学的な裏づけについて筆者は、それほど詳細を知りませんが、創世記の記述を素直に読めばノアの大洪水は地球規模であったとするほうがあちこちを再解釈する必要がなくて、聖書全体としてすんなり読めるように思います。たとえば地域限定説ですと、人類と全動物がひろがっていた範囲がメソポタミアのあの地域だけだったというのは実際上無理な説明でしょうから、ノアから出ていない人類もほかにいるというややこしい話になって来るでしょう。

2 神の主権とノアの応答

 次に、ノアの大洪水の記事を読んでまず注目したいことは、この洪水が徹頭徹尾、神の主権によって進められたということと、ノアはこの神の主権に徹底的に服従したということが強調されていることです。
「神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。そこで、神はノアに仰せられた。云々」(6:12、13)このように、ことは神がノアに告げるところから始まります。現代の流体力学上、復元力最大といわれる箱舟の設計図を示され、その建造と、中に入る人間と生物と食糧について、神がお命じになると、「ノアはすべて神が命じられたとおりにした。」(6:21)とあります。
 準備が完了し、七日で洪水が来るから箱舟に入ることを命じられると、「ノアは、すべて主が命じられたとおりにし」ました(7:5)。ノアの神のことばへの服従は、さらに16節でもう一度念を押されます。 「入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。」
そして、選ばれた生き物たちが入った後、箱舟の戸と閉じたのは、主でした。「それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」(7:16)この出来事は最後の審判を思わせます。箱舟の戸は主がお閉めになります。最後の審判においてもそうです。扉の外の人々は、泣いて歯軋りするのです。
さて雨は40日間続き、150日間増水しましたが、水が引き始めるのも主のみわざです。「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。」(8:1)
ついに洪水が終わって、ノアが舟から出るのもまた、主のご命令によります。すでに雨は止み、地の面はかなり乾いていたのですが、ノアは決して自分の判断で外に出ようとはしませんでした。ノアは、この裁きは主によって始められた以上、主によって終わるのだと確信していたからです。「そこで、神はノアに告げて仰せられた。『あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。(略)』 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。」(8:15-18抜粋)
 さすがノア!よくぞ神のことばを待ちました。筆者なら、地が乾いてきたらからだがうずうずして浮かれて、外に飛び出してしまいそうです。

3 家族と動物たちと

 最後に、大洪水の記事のなかで神のまなざしに注目しましょう。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。」(7:1)ということばです。神はノアのみならず、ノアとその家族とを大洪水のさばきから救い出そうとなさいました。神は、信仰者の家族を大事にしてくださるのです。ソドムからロトを救い出そうとするときにも、神はロトのみならず彼の家族を救出しようとされました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も・・・」というピリピの獄屋に響いた使徒の声を思い出します(使徒16:31)。
 神が目を注がれるのは、人間だけではありません。神は動物たちにも目を留められました。神の選んだ動物はノアが集めるまでもなく、自分で箱舟のところにやって来ました(20節)。神は人間だけの神ではありません。ほかの被造物もまた神の作品であり、神の愛の対象なのです。今日、人間は傲慢になりすぎているようです。「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。」(8:1)